史記「鴻門之会①/項羽、大いに怒る(楚軍行略定秦地~)」現代語訳・解説

漢文

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史記より「鴻門之会①/項羽、大いに怒る(楚軍行略定秦地~)」について解説をしていきます。

このお話は中国で実際に起きた出来事です。
中国古代史に残る名場面をご紹介していきます。

 

この記事では

・白文

・書き下し文(読み仮名付き)

・語句の意味/解説

・現代語訳

以上の内容を順番にお話していきます。

「鴻門之会①/項羽、大いに怒る(楚軍行略定秦地~)書き下し文・現代語訳・解説

白文

① 楚軍行略定秦地、至函谷関。

② 有兵守関、不得入。

③ 又聞沛公已破咸陽、項羽大怒、使当陽君等撃関。

④ 項羽遂入、至于戯西。

⑤ 沛公軍覇上、未得与項羽相見。

⑥ 沛公左司馬曹無傷使人言於項羽曰、

⑦ 「沛公欲王関中、使子嬰為相、珍宝尽有之。」

⑧ 項羽大怒曰、「旦日饗士卒。

⑨ 為撃破沛公軍。」

⑩ 当是時、項羽兵四十万、在新豊鴻門。

⑪ 沛公兵十万、在覇上。

⑫ 范増説項羽曰、「沛公居山東時、貪於財貨、好美姫。

⑬ 今入関、財物無所取、婦女無所幸。

⑭ 此其志不在小。

⑮ 吾令人望其気、皆為竜虎、成五采。

⑯ 此天子気也。

⑰ 急撃、勿失。」

 

書き下し文(読み仮名付き)・語句解説・現代語訳

ぐんゆくゆくしん略定りゃくていし、函谷関かんこくかんいたる。

語句 意味/解説
楚軍 項羽が率いる軍勢を指す
やがて
略定 攻略して制圧する
函谷関 東から咸陽を目指すためには必ず通る関所

【訳】楚軍はやがて秦の地を攻略して制圧し、函谷関に到着した。

 

函谷関と通るルートは咸陽へは最短ルートであるものの、秦の軍勢の守りが固い場所でもありました。
そこの攻略を項羽軍が一手に引き受け、一番乗りを目指して激戦となったのです。

 

 

へいかんまもり、るをず。

語句 意味/解説
兵有り 兵がいて
関所
得ず ~できない

【訳】(しかし)兵がいて関所を守っていて、入ることができなかった。

 

 

また沛公はいこうすで咸陽かんようやぶるとき、項羽こううおおいにいか当陽君とうようくんをしてかんたしむ。

語句 意味/解説
咸陽 秦の都
破る うち破る、突破する
当陽君 人名。楚軍の武将。
撃たしむ 攻撃させた

【訳】また沛公がすでに咸陽をうち破ったと聞き、項羽は激怒し、当陽君らに関所を攻撃させた。

 

なぜ項羽は怒ったのでしょうか?

項羽は一番乗りを目指して、一番守りが固い秦軍に真正面から挑み、倒してきました。
しかし功績をあげたものの、沛公に先を越されてしまったのです。

 

当然自分が一番乗りになるものと思っていたのに、「負け戦ばかりの沛公にかっさらわれた」と感じたのですね。

 

また函谷関を守っていたのは、すでに咸陽に到着していた沛公軍の兵でした。

にもかかわらず項羽軍を入れようとしなかったことにも、激怒したのですね。

 

 

「味方の、しかも沛公軍のくせに俺らを敵のように扱うなんて、むかつく!

やっちまえ!」と部下に命令して函谷関の兵を撃破したということになります。

 

味方軍といえども、自分の敵と感じた者には容赦なく攻撃する…
項羽はキレやすい人というのが垣間見えますね。

 

 

項羽こううついりて、戯西ぎせいいたる。

語句 意味/解説
遂に とうとう
戯西 西側の川

【訳】項羽はとうとう(関中に)入って、戯西に到着した。

 

 

 沛公はいこう覇上はじょうぐんし、いま項羽こううあいまみゆるをず。

語句 意味/解説
覇上 地名。川に囲まれ、高台となっている攻められにくい場所だった。
軍し 軍隊が陣営を定める
未だ~ず まだ~しない
相見ゆる 対面する

【訳】沛公軍は覇上に陣営を定め、まだ項羽と対面することができずにいた。

 

沛公は咸陽を制圧したあとに宝物庫などを封鎖して、その後は咸陽を出て覇上に陣営を構えていた

 

沛公はいこう左司馬さしば曹無傷そうむしょうひとをして項羽こううしめてく、

語句 意味/解説
左司馬 軍事を司る役職
曹無傷 人名。沛公の部下。
…をして~しめて 【使役】…に~させて

【訳】沛公の左司馬である曹無傷が人を使って項羽に言わせることには、

 

沛公はいこう関中かんちゅうおうたらんとほっし、子嬰しえいをしてしょうたらしめ、珍宝ちんぽうことごとゆうす。」と。

語句 意味/解説
関中 函谷関の内側を指す(懐王が一番乗りした人にあげると言った場所全体を指す)
王たらん 王になろう
子嬰 秦の皇帝
相たらし 宰相として登用する
たらしめ そのようにさせて
珍宝 宝物
尽く 全て、残らず
有す 自分のものとして持つ

【訳】沛公は関中で王になろうとし、子嬰を宰相として登用し、宝物を残らず自分のものにした。」と。

 

降伏した秦の皇帝を自分の部下として登用した
=「秦の勢力を自分のものにしようとしている」と言っている

 

なぜ曹無傷は、項羽にそのようなことを言ったのでしょうか?

本文にその理由は書かれていませんね。
自分なりに考えてみてください。

 

ゆくゆくは項羽が天下統一を果たすだろうと思い、寝返ろうとしたのでしょうか…?

 

項羽こううおおいにいかく、「旦日たんじつ士卒しそつきょうせよ。

語句 意味/解説
旦日 明朝
士卒 兵士
饗せ ごちそうを振る舞え

【訳】項羽が激怒して言うことには、「明朝兵士たちにごちそうを振る舞え。

 

 沛公はいこうぐん撃破げきはすることをさん。」と。

語句 意味/解説
為さん 【意志】~しよう

【訳】沛公の軍を撃破しようではないか」と。

 

またブチギレてるみたいですけど…

今度は沛公が、自分を差し置いて王になろうとしていることに激怒しているのですね

 

 

ときたり、項羽こううへい四十万よんじゅうまん新豊しんぽう鴻門こうもんり。

語句 意味/解説
是の時に当たり 項羽が鴻門まで軍を進めている状況を指す
新豊 地名。新豊県という漢の時代におかれた県の一つ。
鴻門 地名。今の西安市の東にある。

【訳】この時、項羽の兵は40万人で、新豊の鴻門に(陣が)あった。

 

最初に項梁と挙兵したときは8,000ほどの軍勢だったそうです

ものすごく大きくなったんですね。

 

沛公はいこうへい十万じゅうまん覇上はじょうり。

語句 意味/解説
覇上 地名。

【訳】(それに対して)沛公の兵は10万で、覇上に(陣が)あった。

 

沛公軍も最初は2,000~3,000人程度からスタートしたのでした。

沛公軍も大きくなったものの、項羽軍の方が圧倒的に大きいですね。

戦いになれば負けてしまうことが明らかですね。
その上、項羽軍は鴻門まで来ており、沛公軍のある覇上の近くに迫っていたのです。

 

 

范増はんぞう項羽こううきてく、「沛公はいこう山東さんとうりしとき財貨ざいかむさぼり、美姫びきこのめり。

語句 意味/解説
范増 人名。項羽の参謀
説きて 説明して、言い聞かせて
山東 地名。
財貨 お金やもの
貪り 執着する、欲しがる
美姫 美女

【訳】范増が項羽に説明して言うことには、「沛公は山東にいた時、お金やものに執着し、美女を好んでいました。

 

いまかんりて、財物ざいぶつところく、婦女ふじょこうする所無ところなし。

語句 意味/解説
財物 財貨
取る 手に入れる
所無く/所無し ~することはない
婦女 女性
幸する 寵愛する、可愛がる

【訳】(しかし)今関中に入ってから、財貨を手に入れようとすることはなく、女性を寵愛することもありません。

 

こころざししょうらず。

語句 意味/解説
此れ 沛公がお金や女性に目を向けていないことを指す
其の志 沛公の志
小に在らず 小さくない

【訳】その志は小さくありません。

 

沛公は天下統一という大きな志があるので、お金や女性に夢中になることがなくなった

 

われひとをしてのぞましむるに、みな竜虎りゅうこし、五采ごさいす。

語句 意味/解説
私。范増を指す。
其の気 沛公の気
望ま 遠くから眺め
しむる 【使役】させる
竜虎 竜と虎
五采 五色

【訳】私が人を使って沛公の気を遠くから眺めさせたところ、(その気の)全てが竜虎の形をしていて、五色に彩られていた。

 

天子てんしなり。

語句 意味/解説
天子 中国全土を統一する人物

【訳】これは天子の気である。

 

気とは…?

ちょっと言葉で説明するのは難しいですね。

普通の人には見えないけれど、その人が持っている根源的なオーラという感じでしょうか。

 

いそち、しっすることかれ。」と。

語句 意味/解説
失する 失敗する、逃す
勿かれ 【禁止】~してはいけない

【訳】急いで攻撃し、(この機会を)逃してはいけません。」と。

 

范増はなぜこのようなことを言ったのでしょうか?

沛公を生かしておいたら沛公が天子になってしまう。
しかし、范増は項羽が天子となることを望んでいる。
項羽の敵となるであろう沛公を討つようにと、項羽に進言したのでした。

 

 

史記とは?

正史の一つです。
正史とは中国の正しい歴史に沿って書かれた歴史書のことを言います。

前漢だけでなく、さかのぼった広い時代について描かれています。
一番古いものは4000年前の王朝について、書かれています。
まさに「中国4000年の歴史」です。

紀伝体というスタイルで書かれている。

紀伝体とは?
本紀…皇帝や王について
列伝…個人の活躍について
を分けて書くというもの

 

 

時代背景

このお話は、秦の始皇帝が亡くなった直後のお話です。

秦は五百年近く続いた戦乱を終え、全土を統一しました。
しかし、秦の始皇帝の定めた法律はとても厳しいものでした。

法律の縛り付けによって天下を統治していたのです。

その縛り付けに不満を溜めていた民衆が、始皇帝の死によって爆発します。
各地に反乱が広がっていきました。

しかしその反乱は次第に統合され、中心となる項羽の勢力によって「打倒、秦」という目標で団結します。

反乱軍の君主として「楚の懐王」を掲げ、その君主は「一番最初に秦の都である咸陽に到着したものに、その土地を与える」という約束をします。

そこに合流したのが沛公軍でした。

二人の人物像

項羽
年齢:27歳
家柄:代々軍主をつとめる
人柄:感情のままに動く。
戦場では残虐になり、一人で何百人もの敵を倒したというエピソードも。
人を頼りにしたり、任せることが苦手だという一面も。
名実ともに反乱軍のエース。

 

沛公
年齢:43歳
家柄:庶民出身
人柄:義理人情の世界で生き、親分肌で慕われていた。
戦績は連戦連敗。戦争に強いわけではない。
しかし沛公の人柄から、優秀な部下が集まり勢力を強めていった。

項羽と沛公は対照的な人物に見えます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は史記より「鴻門之会①/項羽、大いに怒る(楚軍行略定秦地~)」を紹介しました。

このお話はまだ導入部分です。

味方であるばずの沛公に対して、項羽が激怒した理由について見てきました。

今後二人の関係がどのようになっていくのか、続きもぜひ読んでみてください。

この記事を書いた人
あずき

40代、一児の母
通信制高校の国語教員

生徒が「呪文にしか見えない」という古文・漢文に、少しでも興味を持ってもらえたらと作品についてとことん調べています。

自分の生徒には直接伝えられるけど、
聞きたくても聞けない…などと困っている方にも届けたくて、ブログを始めました。

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