史記「鴻門之会(鴻門の会)」とは?|登場人物をおさえてサクっと理解

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「鴻門之会(鴻門の会)」とは?項羽・沛公(劉邦)、運命の分かれ道

秦の滅亡後、覇権を巡る争いが表面化した中で行われたのが、鴻門の会です。
ここでは、沛公が項羽と直接対面し、双方の思惑や忠誠心が交錯する緊迫の宴が繰り広げられました。
沛公側の張良や樊噲、項羽側の范増や項伯など、登場人物それぞれが自らの立場や信念に従って行動し、結果的に沛公は命を保つことに成功します。
この一連のやり取りが、その後の歴史の行方に大きな影響を与えることになります。

ここからは、鴻門の会に登場した主要な人物について、そして陣営ごとの立場について詳しく見ていきます。誰がどのように動き、どのような判断を下したのかを整理することで、この宴がいかに緊迫した状況だったのかが理解できるでしょう。

登場人物と陣営の整理

項羽軍

項羽(項王):楚軍の総大将。名実ともに反乱軍のエース。沛公が先に咸陽を破ったことに激怒し、沛公軍を討とうとする。しかし、沛公の謝罪を聞くと仲直りの宴を開こうと提案。酒宴の席で、沛公を討てという范増の目くばせを無視した。感情のままに動くタイプ。戦場では残虐になり、一人で何百人もの敵を倒したというエピソードも。

范増(亜父):項羽の側近。項羽にとっては父の次に尊敬する存在。項羽が天下を取ることを望んでいる。そのため沛公を脅威に感じ、排除しようとしている。沛公の謝罪を受け入れた項羽に、宴の席で沛公を討つように目くばせする。しかし項羽が取り合わないため、項荘に実行させる。

項荘:項羽の従弟であり、楚の武将。范増の指示に従って剣舞を行う。沛公を狙う役目を担う。

項伯:項羽の伯父だが、張良に命を救われた恩がある。そのため宴の際には沛公を守るため、自ら盾となって防御する。項羽に謝罪するように沛公に言ったのも項伯である。

 

沛公軍

沛公(劉邦):項伯に項羽へのとりなしを頼み、謝罪を促される。それを受け、項羽に謝罪をしに行く。謝罪は受け入れられ、仲直りの酒宴が開かれるが、その場で暗殺の危機に直面する。部下や項伯に助けられ、無事に酒宴の席を抜け出すことに成功。義理人情の世界で生き、親分肌で慕われていた。戦績は連戦連敗。戦争に強いわけではない。しかし沛公の人柄から、優秀な部下が集まり勢力を強めていった。

張良:沛公の部下。酒宴の席では沛公の側に控えていたが、危険を察知すると外に助けを求めに行く。以前、項伯の命を救ったことから、項羽が沛公にキレて討とうとしている状況を知る。

樊噲:沛公の護衛。宴の外で待機し、張良の話を聞き危険を察知すると怒りに満ちて登場。豪胆かつ勇猛に沛公を守る。また項羽に対して冷静に、進言する一面も。

 

登場人物と陣営の関係を整理すると、それぞれの立場や性格が宴の緊張感を生み出す背景として浮かび上がります。項羽は表向きは仲直りの宴として進めようとしていた一方で、范増はその意図をよそに沛公を討とうと目論みます。

このように、表面上の和やかな宴の裏側では、各人物の思惑が絡み合った微妙な均衡が保たれていたのです。この背景を踏まえると、鴻門の会がなぜ開かれたのか、その経緯を理解しやすくなります。

 

なぜ鴻門の会は開かれたのか?

そもそも、なぜ鴻門の会が開かれたのかを確認しましょう。

項羽と沛公の仲直りの酒宴

鴻門の会が開かれた直接のきっかけは、秦を滅ぼした後の覇権争いにありました。もともと沛公と項羽は反乱軍として共に秦を攻めた仲間でしたが、秦を先に破り関中に入った沛公の行動を聞いた項羽陣営には誤解が生じました。

さらに沛公が王になろうとし、宝物を独り占めにするのではないかという讒言が、項羽側に伝えられたのです。
しかし、項羽が怒っているという情報を受け、沛公は、この誤解を解くため自ら謝罪に向かいます。(項羽が怒っていることを知ったきっかけ…過去に張良に命を救われた、項羽軍の項伯が張良を逃がそうとする。しかし張良は沛公をおいて逃げられないと、沛公にこのことを伝えた→沛公は項伯に項羽との間を取り持ってもらうように頼み、謝罪することにする)
項羽は沛公の言葉を受け入れ、仲直りの酒宴を開こうと提案しました。こうして、表向きは和やかに両者が顔を合わせるための宴として、鴻門の会は行われることになったのです。

 

鴻門の会は、表向きは和やかな仲直りの宴として始まりました。しかし、項羽の側近である范増は、沛公を討つよう強く進言します。その意図を阻止するため、沛公側の張良や樊噲、さらに項羽側の項伯も奮闘することになります。次は、実際に宴の場で何が起こったのかを詳しく見ていきましょう。

鴻門の会で何が起きた?

「仲直りの宴」だったはずの、鴻門の会。それがどのような会になったのか、見ていきましょう。

宴が一転、命がけの場に

鴻門の会は、表向きは仲直りの宴として始まりました。しかし、宴の席で項羽の側近である范増は目くばせで項羽に「今、沛公を討て」と合図します。項羽はその合図を黙って無視しました。

范増はすぐに項荘を呼び寄せ、「項王様はやらないので、お前がやれ」と命じます。項荘は剣舞を願い出て、舞いながら沛公の命を狙おうとします。その時項伯は、親鳥が雛をかばうように身を挺して沛公を守り、項荘の剣舞から沛公を守ります。

 

救世主 樊噲登場

張良が状況の危険さを感じ、外で待機している仲間に助けを求めます。その呼びかけに応じ、樊噲が登場します。

樊噲は門番を押し倒して、宴の場に割って入ります。項羽を睨みつけるその表情は怒りに満ち、頭髪を逆立て、怒りMAX。沛公を守るために豪快な態度を見せます。酒を一斗も飲み、与えられた生の豚の肩肉をむさぼる姿は、恐れ知らずの豪胆さと、君主の命を守る覚悟を象徴していました。

樊噲の登場により、沛公を狙った危機は緩和され、事態は大きく変化します。

 

沛公、危機を脱して脱出

樊噲の登場により、沛公を狙った危機は緩和されました。
すると今度は冷静に沛公の行動の正当性を伝え、また「あなた様のやっていることは、秦と同じではありませんか」と項羽を非難します。樊噲の言葉に、項羽は何も言えなくなりました。その後、沛公は無事に酒宴の席を抜け出すことができました。

 

まとめ

鴻門の会は、表向きは和やかな仲直りの宴。しかしその裏では、命がけの駆け引きが繰り広げられていました。項羽は本来、沛公との和解を望んでいたものの、側近の范増は暗殺を目論み、宴の場は一転して緊迫の舞台となります。項荘の剣舞、項伯の防御、張良や樊噲の奮闘──数多の思惑と勇気が交錯する中、沛公は生き延び、歴史の流れを変えました。

この宴は、ただの歴史上の一場面ではなく、人物の性格や忠誠心、決断が運命を動かした瞬間として、後世に鮮やかに刻まれています。

 

「鴻門之会①/項羽、大いに怒る(楚軍行略定秦地~)」現代語訳・解説

「鴻門之会②/剣の舞(沛公旦日従百余騎~)」現代語訳・解説

「鴻門之会③/樊噲、頭髪上指す(於是張良至軍門~)」現代語訳・解説

 

この記事を書いた人
あずき

40代、一児の母
通信制高校の国語教員

生徒が「呪文にしか見えない」という古文・漢文に、少しでも興味を持ってもらえたらと作品についてとことん調べています。

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