今回は更級日記から「門出」の現代語訳、解説をしていきます。
日記と言うことで作者の菅原孝標女にも触れながら、内容をおさえていきましょう。
このお話の中では作者の物語に対する強い憧れが語られています。
実はこの菅原孝標女は無類のオタク女子でした。
本文で語られている熱い思いは何に向けられたものなのか、読み解いていきましょう。
この投稿をInstagramで見る
更級日記「門出」現代語訳・解説
ではさっそく本文とその現代語訳、そして解説をしていきます。
本文と現代語訳(解説つき)
現代語訳
※青…単語、文法
※赤…敬語など解説
都から東へ行く道の果てよりも、もっと奥の方で生まれ育った人で、どんなにか田舎びていただろうに、
※けむ…過去推量(~タダロウ)の助動詞「けむ」の連体形
※なほ奥つ方…もっと奥の方。ここでは上総国(現在の千葉県中央部)を指す。
「道の果て」「なほ奥つ方」なんて、「自分はド田舎者です」と自虐的に感じられます…
作者は「上総国生まれ」と言っていますが、実は都の生まれです。
なぜこのように言ったのかについては、源氏物語への憧れが関係していているそうです。
東の国出身の浮舟に自分を重ねているという説があります。
どうしてそのように思い始めたのか、世の中に物語というものがあるそうだが、どうにかして見たいものだと思いながら、
※ばや…自己の願望(~タイ、~タイモノダ)を表す終助詞
物語を手に入れるために都へ行きたい気持ちが募っているのがわかりますが、
どうして姉や継母は知っているのに、作者だけ物語を読んだことがないのでしょうか?
作者たち一家は都に住んでいたことがあります。
作者も都から現在の地へ下向した記憶はあるのですが、物語は読んだことがないようです。都にいた時の作者の年齢が幼かったのかもしれません。
当時は本屋や図書館があるわけでもなく、気軽に本は読めませんでした。
読んで覚えた部分を「こんなんだったわよね」と伝えるしかなかったんです。
あまりにも楽しそうに語る姉や継母の様子を見て、作者は居ても立っても居られなくなってしまったんですね。
物語への思いが募るものの思うようにいかない「心もとなき」状況である作者は、驚きの行動に出ます!
それは一体どのような行動でしょうか?
等身大の薬師仏を作っちゃいました!
そうですね、とはいえ作者自身が仏像を彫ったわけではないと思います。
仏師にこっそり作らせて、お姉さまや継母にバレないようにこっそりお祈りしてたんだと思われます。
(等身大だし、バレないなんて難しいと思いますが…)
「京に疾く上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ。」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、
「私を都に早く上らせなさって、物語が多くあるそうですが、(物語を)ある限りお見せください。」と身体を投げ出して額を床について、お祈り申し上げるうちに、
※給ひ…尊敬語(作者→薬師仏の敬意)
※候ふ…丁寧語(作者→薬師仏の敬意)
※給へ…尊敬語(作者→薬師仏の敬意)
「身を捨てて額をつき」という表現から、作者の必死な様子が感じられますね。
本人は必死なのでしょうが、熱い思いに微笑ましく感じてしまいます。
※む…意志(~ウ、~ヨウ)の助動詞「む」の連体形
お祈りの効果があったんですかね!?
真偽のほどはわかりませんが、この文章の流れからは作者の「その甲斐あってか」という気持ちが感じられますね。
念願叶ってついに作者は上京が決まり、「いまたち」というところに移ります。
「いまたち」ってどこなんでしょう?
当時は旅をする際に今の家を出て、良い方角へ移ってから旅の支度を整えて出発していたんです。
なので都の「いまたち」へ引っ越したのではなく、旅の準備をする仮の場所を「いまたち」と呼んだという説があります。
車に乗ろうとして、振り返って(家を)見ると、
※つる…完了(~タ、~テシマッタ)の助動詞「つ」の連体形
お引越しするときに家を壊しちゃうんですか!?
「もうここには戻らない」という気持ちの表れです。
京へ行くのですから、これまでの生活をまっさらにして向かおうということですね。
人まには参りつつ、額をつきし薬師仏の立ち給へるを、
人のいない隙にお参りしては、額をついて(お祈りしていた)薬師仏が立っていらっしゃるのを、
見捨て申し上げるのが悲しくて、人知れず自然と涙が流れてしまった。
※給へ…尊敬語(作者→薬師仏への敬意)
※奉る…謙譲語(作者→薬師仏への敬意)
※れぬ…自発(自然ニ~レル)の助動詞「る」の連用形+完了(~タ)の助動詞「ぬ」の終止形
一生懸命拝んでいた薬師仏は、置いて行っちゃうんですね…
そうですね。薬師仏は家と一緒に壊すこともできず残っている姿を見て、「見捨て奉る」として作者も心の残りに思い涙を流しています。
作者とその家族
本文にも出てきた姉や継母など、更級日記に登場する家族についても触れておきましょう。
継母:高階成行の女
孝標の第二婦人であり、作者の実母ではありません。
実母は近所に出かけるのも嫌がるほどの面倒くさがりとのこと。
孝標が上総国に行くことが決まり、実母がついてこないので彼女を連れて行ったとも言われています。
宮仕えの経験もあり、知識と教養のあるキャリアウーマン。
作者たち姉妹にとって最高の家庭教師だったことでしょう。
継母が父と離婚したあとも作者は和歌のやり取りなどの交流を続けていたと言われています。
よくある物語で継母が継子をいじめるなんてことは、この親子にはなかったようです。
この人こそが作者に物語の面白さを伝え、物語の沼へ導いた張本人です。
姉:名前不明
本文でも登場するお姉ちゃん。
上総の国へ一緒に行き、継母と物語や光源氏について語っているところから、彼女もまた作者を物語の沼に導いた一人だと言えます。
そして父と兄が上総国で共に生活をしていました。
父:菅原孝標
学問の言えに生まれたものの、エリート菅原家のシンボルである学者職の長官にはなれず、高齢になってからも地方へ任務として行っていました。
兄:菅原定義
作者の面倒をよく見てくれた優しいお兄ちゃん。
優しいだけではなく、曲がったことが大嫌いで天皇に意見を言うことも。
そんな兄は父が叶わなかった大学頭や文章博士に就任し、家業を立て直しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
作者である菅原孝標女の熱い思いは「物語」に向けられていましたね。
そんな作者を物語の沼へ導いたのが、継母と姉の二人だということも分かりました。
物語を思うあまりに「自分も現物が見てみたいから都へ行きたい!」と仏像を作ってお祈りするという、なかなかぶっ飛んだ少女だったようです。
念願叶って13歳になる年に上京が決まったのですが、旅立ちの時にあの薬師仏の姿を見て、置いていくのが心苦しく感じられて涙を流す場面で終わっています。
人物像やその時の状況を理解しながら読むと、より楽しめるのではないでしょうか?
更級日記の他の章段も是非読んでみてください。
コメント