今回は陶潜(陶淵明)の「飲酒」を解説します。「飲酒」は陶潜が酒に酔いながら、思ったことを詠んだものです。どのような思いを詠んだのか、しっかりと読み取っていきましょう。
1600年前、安定した役人を辞めて田舎に帰った陶潜。彼の書いた「飲酒」は、漢文の教科書では「悟りの詩」として紹介されます。
本当にそれだけなのでしょうか?
今回は、この詩の美しさだけでなく、陶潜という人間の「弱さと強さ」の両面に触れていきましょう。
陶潜(陶淵明)「飲酒」現代語訳・解説

この詩が読まれた背景
まずは、この詩が詠まれた背景をおさえましょう。
陶潜(陶淵明)ってどんな人?
陶潜は、東晋という時代の終わりから宋の初めにかけて活躍した詩人です。
陶潜は下級士族の出身で、経済的な理由から役人の道を目指します。しかし、下級役人としての仕事に耐えられず、「たった五斗(わずかな給料)のために、腰を折る(おじぎをする)なんて真っ平ご免だ!」と言って辞めてしまいます。
その後も、働いては辞めるという状況でしたが、ついに41歳の時に辞任して故郷に帰って以降は、役人に戻ることはありませんでした。この最後の仕事である彭沢の県令に就いたのは、その後の隠遁生活の資金を貯めるのが目的だったようです。
「飲酒」シリーズと当時の生活
この詩は、「飲酒二十首」という連作詩の第五首です。この第五首が作られた年代は不明ですが、最後の仕事を終えて隠遁生活を始めた、41歳以降だと考えられています。
当時、陶潜は酒を飲み、自然に触れながら詩作にふける日々を送ります。悠々自適で、優雅なものに感じられますね。精神的には、これ以上ないほど自由で満たされた「自給自足の隠居生活」を送っていたように感じられます。
しかしこの詩を書いた頃、彼の生活は決して優雅なものではありませんでした。 農業は決して訳なものではなく、自然災害や火災に見舞われるなど、貧しさに苦しむことが多かったのです。
これらのことを踏まえて、本文を見ていきましょう。
白文・書き下し文(読み仮名付き)・現代語訳・語句解説
① 結盧在人境
廬を結びて人境に在り
| 廬 | 粗末な家、庵 |
| 結びて | 作って |
| 人境 | 人が住むところ、人里 |
| 在り | いる |
【訳】(私は)粗末な庵を作って人里にいる

「廬を結ぶ」とは、役人の世界から遠ざかることを意味もあるのです。
② 而無車馬喧
而も車馬の喧無し
| 而も | 【逆接】それなのに |
| 車馬 |
馬車。ここでは役人などの身分の高い人が乗る乗り物を指す。
|
| 喧 | うるささ、やかましさ |
| 無し | ない |
【訳】それなのに車馬のうるささがない

どういうことなのでしょうか?
人が住む町の中に粗末な家を建てて、役人の来訪がないって、寂しいってことですか?

このあとに問いかけの形で答えているので、読み進めてみましょう。
③ 問君何能爾
君に問ふ何ぞ能く爾ると
| 君 | あなた |
| 問ふ | 尋ねる |
| 何ぞ | 【疑問】どうして~か |
| 能く | 【可能】できる |
| 爾る |
そのようである。これは前の句の「車馬の喧無し」を受けている。「誰も訪れてこないのは」という意味。
|
【訳】あなたに尋ねよう。どうしてそのようであることができるのかと。
④ 心遠地自偏
心遠ければ地 自づから偏なり
| 心 | こころ |
| 遠ければ | (俗世間から)遠く離れれば |
| 地 | ここでは住む場所のこと |
| 自づから | 自然と |
| 偏なり | 辺鄙(な場所)になる |
【訳】心が俗世間から遠く離れれば、住んでいる場所も自然と辺鄙な場所になる(=静かに暮らせる)

ここで先ほどの答えが出ましたね。
自分の心が富や名声という俗世間から離れると、自然とそういう人からも遠ざかり、人里にいながら静かに暮らせるということでした。
⑤ 采菊東籬下
菊を采る東籬の下
| 菊 | 菊の花 |
| 采る | 摘む |
| 東籬 |
東側のまがき。竹や木を編んで作った低い垣根のこと。
|
| 下 | その辺り |
【訳】東側のまがきの辺りで菊の花を摘んでいると、
⑥ 悠然見南山
悠然として南山を見る
| 悠然として | ゆったりとして |
| 南山 | 南の方にある山 |
| 見る | 見る、目に入る |
【訳】ゆったりとして、南の方の山が視界に入る

「南山」は陶潜がいる場所から見て南の方角ということになります。また、「南山」は俗世間から離れた場所から見る山のことを表すようにもなりました。
⑦ 山気日夕佳
山気日夕に佳く
| 山気 | 山の空気、ここでは「山の雰囲気」と解釈するという説もある。 |
| 日夕 | 夕方 |
| 佳く | 素晴らしい、美しい |
【訳】山の雰囲気は夕方が素晴らしく
⑧ 飛鳥相与還
飛鳥相与に還る
| 飛鳥 | 空を飛ぶ鳥 |
| 相与に | 一緒に |
| 還る | 帰る |
【訳】空を飛ぶ鳥が一緒に帰っていく

菊の花を摘みふと見上げると、南の方に山が目に入ってきました。そこから山の美しさや、空を飛ぶ鳥へと描写が移り、自然の美しさに深く浸っていく様子が表現されています。
⑨ 此中有真意
此中に真意有り
| 此中に | ここ(この光景や生活を指す) |
| 真意 | 理想とする真の境地、人生の真実の意味 |
| 有り | ある |
【訳】ここに人生の本当の意味がある
⑩ 欲弁已忘言
弁ぜんと欲して已に言を忘る
| 弁ぜ | 説明する |
| んと欲して | ~しようとする |
| 已に | ~してしまう |
| 言 | 言葉 |
| 忘る | 忘れる |
【訳】(そのことについて)説明しようとするが、その言葉を忘れてしまった
詩の形式・押韻
この詩の形式は、五言古詩です。これは「古体詩」と呼ばれます。
これまで取り上げてきた唐代以降の漢詩は、「近体詩」と呼ばれるもので、文字数や押韻、対句などの決まり事がありました。それに対して「古体詩」には句数に決まりがなく、句の次数はの数に制限がなく押韻にも細かい決まりがありません。
| 古体詩 | 近体詩 | |
| 句数 | 定め無し | 四句:絶句 八句:律詩 |
| 字数 | 四言、五言、六言、七言、雑言(各句の字数がバラバラ) | 五言、七言 |
| 押韻 | 比較的自由 | 偶数句末 ※律詩は第一句末も |
作者の思い
悟りか、それとも強がりか?
この詩の解釈には、二つの面白い視点があります。
視点1:静かな「悟り」の境地
「心遠ければ地自ずから偏なり」という言葉通り、周囲の騒がしさに左右されない強い心を手に入れたという解釈です。菊を摘み、山を眺めるその姿は、世俗の欲を完全に捨て去った聖人のようにも見えます。
視点2:泥臭い「強がり」の美学
一方で、これは自分自身への「言い聞かせ」だという見方もあります。
当時の陶潜は、生活の苦しさに心が折れそうになることもあったはずです。だからこそ、「自分が選んだこの道は間違っていない。たとえ貧しくても、心さえ遠くに置いておけば、ここが理想郷なんだ」と、自分を鼓舞していたのではないでしょうか。
「欲弁已忘言(説明しようとしたが、言葉を忘れた)」という結びも、「理屈で説明できない真理」という「あれこれ理屈で自分を正当化するのはもうやめよう」という、あきらめだったのかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、陶潜の「飲酒」を解説しました。
人里にいながらも静かな心で暮らせるのは、自分の心が俗世間から遠ざかっているからだと言っていました。その姿は、悟りを開いた聖人のように感じられます。
しかし陶潜は、苦しい生活の中、不安がぬぐえずにいたのかもしれません。
この作品が今も私たちの心を打つのは、彼が「完璧な超人」ではなかったからではないでしょうか。
みなさんは、どのように感じましたか?



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