「五十歩百歩」現代語訳・解説|孟子が言いたかったこととは?

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今回は「五十歩百歩ごじっぽひゃっぽ」の現代語訳と解説をしていきます。

「五十歩百歩」とは、違いはあれども大差はないことを言います。

魏の恵王が孟子に問いかけ、その問いに対して孟子が答えた場面のお話です。

「戦場で五十歩逃げた人が百歩逃げた人を馬鹿にして笑うなんてどうなの?」と孟子は言っています。

それは一体どういうことなのでしょうか?

本文の現代語訳・解説を読みながら内容を理解していきましょう。

「五十歩百歩」現代語訳・解説

それではまず白文と書き下し文を読み仮名付きで読んでいきましょう。

白文

孟子対曰、「王好戦。

請以戦喩。

塡然鼓之、兵刃既接。

棄甲曵兵而走。

或百歩而後止、或五十歩而後止。

以五十歩笑百歩、則何如。」

王曰、「不可。

直不百歩耳。

是亦走也。

書き下し文(読み仮名付き)

孟子もうしたいして曰はいわく、「おうたたかこのむ。

たたかたとん。

塡然てんぜんとしてし、兵刃へいじんすでせっす。

こうへいきてはしる。

あるいは百歩ひゃっぽにしてのちとどまり、あるいは五十歩ごじっぽにしてのちとどまる。

五十歩ごじっぽ百歩ひゃっぽわらば、すなわ何如いかん。」と。

おうく、「不可ふかなり。

百歩ひゃっぽならざるのみ。

これまたはしるなり。」と。

 

続いて現代語訳をします。

現代語訳

孟子がお答えして言うには、「恵王様は戦争がお好きです。

どうか戦争のことで例えさせてください。

攻め太鼓を盛んに打ち鳴らし、武器はすでに触れ合っています。(敵と味方が武器をぶつけ合い、戦争が始まったことを表している)

(そのうち兵が)鎧を捨てて武器を引きずって逃げました。

ある者は百歩(逃げた)後に立ち止まり、ある者は五十歩(逃げた)後に立ち止まりました。

五十歩(逃げた)ということで百歩(逃げた)と嘲笑した場合は、どうでしょうか。」と。

王が言うことには、「いけないことだ。

ただ百歩逃げなかったというだけだ。

それもまた逃げ出したのである。」と。

 

語句を解説します。

より詳しく内容を理解していきましょう。

語句・解説

語句 意味
孟子 中国戦国時代の儒学思想家。
武力で服従させるような政治ではなく、徳によって本当の仁政を行うべきだと唱えた。
対へる お答えする
目上の人に対して答える時に用いる
魏の恵王
3代目君主で、「王」を称した最初の人
戦ひ 戦争
好む 好む
請ふ どうか~させてください
以つて ~のことで
喩へ 「喩ふ」…例える
意志
塡然として 攻め太鼓の音が盛んな様子
鼓し 太鼓を打ち鳴らし
置き字で語調を整える助字
兵刃 武器
既に すでに、もはや
接す 触れ合う
ここでは敵と味方が武器をぶつけあい、戦いが始まったことを指す。

※かぶとは「冑」という
棄て 棄てて
武器
曵きて 引きずって
順接を表す置き字
走る 逃げる、逃走する
或いは ある者は
にして ~であって
止まり 立ち止まり、とどまり
置き字
以つて ~ということで
笑はば 嘲笑する
則ち ~の場合は
何如 どうであるか、どうなるか
不可 よくないこと、いけないこと
直だ~耳 ただ~だけだ
それ
~もまた

孟子が言いたかったことは?

この話で孟子が恵王に伝えたかったことは、何でしょうか。

ここでは孟子が答える場面から話が始まりますが、その前に、恵王が孟子にある質問をしています。

その内容は

恵王
恵王

俺さ~、人民のことを考えて政治をやってると思うんだよね。

隣の国の王はひどいやつだから、俺は隣の国の民衆が困っていたら助けたりもしてるんだ。

それなのにこの国の人口は増えないし、隣の国の人口が減るわけでもないんだよね。

なんでだと思う?

つまり恵王は、「自分は人民のことを考えており、隣国の王より良い政治を行っている」と主張しています。

それに対して孟子は、五十歩百歩の話をしたわけです。

つまり孟子は、

孟子
孟子

あなた様は「良い政治をしてる」と言ってるけど、私から見たらどっちも大して変わらないですよ。

隣の国の王よりちょこっとマシなだけです。

と言っているのです。

五十歩逃げた者を恵王、百歩逃げた者を隣国の王に例えています。

どのような点が同じなのかと言うと…

当時はどの国の王も国を豊かにし、兵を強くすることが最大の望みでした。

恵王が言う「人民の為の政治」と言うのも、結局は自国の人口を増やし、兵を増やしたいからにほかなりません。

人民が本当に求めている政治は、争いのない世の中で、道徳のある安定した生活が行われるものです。

したがって恵王がやっていることは、その場限りで人民にとっては嬉しくないのです。

こうして孟子は諸国をめぐり、戦争のない世の中の重要性を訴えていました。

しかし、恵王や富国強兵こそが全てだと思っている諸侯たちに受け入れられず、孟子は失意のまま故郷に帰りました。

その後は弟子の教育に一生を費やしたそうです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は孟子の「五十歩百歩」を紹介しました。

争いが好きで、武力で人民を支配しようとする恵王。

その恵王が「自分は隣国の王よりも良い政治を行っているのに、どうして自国の人口が増えないのか」と言うので、孟子が諫めたというお話です。

孟子が考える人民の為の政治とは、

・戦争がなく平和である

・武力による支配がない

・徳のある人物が人民に安心の生活を提供する

というものでした。

この記事を書いた人
あずき

40代、一児の母
通信制高校の国語教員

生徒が「呪文にしか見えない」という古文・漢文に、少しでも興味を持ってもらえたらと作品についてとことん調べています。

自分の生徒には直接伝えられるけど、
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