作者が赴任地である土佐から京都へ戻るまでの55日間を書いたのが「土佐日記」です。
この「帰京」は、数年に渡る土佐の任期を終えて、京の自宅にたどり着いた場面を描いています。
・作者がそれ以上に悲しかったことは一体何?
・作者はなぜこの日記を破り捨てたかったのか?
これらのことに注目しながら順番にお伝えしていきます。
土佐日記「帰京」現代語訳・解説
土佐日記は紀貫之が書いた、現存する最古の和文日記です。
記録的な意味を持つ漢文による日記とは違い、かな文字を使うことで心理描写や見聞きしたことなどを巧みにまとめています。
作者である紀貫之は古今和歌集の撰者としても有名です。
土佐日記の中にも、いくつも和歌が詠まれていますので、心情について読んでいきましょう。
本文と現代語訳
以下、本文を現代語訳していき、
その後で疑問について解説をしていきます。
※青…単語・文法など
※赤…指示語など
それを「うれし」と言っている。
※うれし…シク活用の形容詞「うれし」(喜ばしい) 終止形
家に到着して、門を入ると、月が明るいので、とてもよく(家の)様子が見える。
※見ゆ…ヤ行下二段動詞「見ゆ」(見える) 終止形
話に聞いたよりも増して、どうしようもないくらい壊れて傷んでいる。
※こぼれ…ラ行下二段動詞「こぼる」(壊れる) 連用形
※破れ…ラ行下二段動詞「破る」(壊れる、傷む) 連用形
※ぞ~たる…係助詞「ぞ」~存続の助動詞「たり」連体形(係り結び)
家の管理を任せた人の心も、荒れてしまったのだなあ。
※預け…カ行下二段動詞「預く」(管理を任せる) 連用形
※たり…存続の助動詞「たり」連用形
※つる…完了の助動詞「つ」連体形
※家に預けたりつる人…作者の隣に住む人
※たる…存続の助動詞「たり」連体形
※なり…断定の助動詞「なり」連用形
※けり…詠嘆の助動詞「けり」終止形
※こそ~あれ、…係助詞「こそ」~「あり」已然形(係り結び/逆接)
※預かれ…ラ行四段動詞「預かる」(引き受ける、管理する) 已然形
※る…完了の助動詞「り」連体形
※なり…断定の助動詞「なり」終止形
そうではあるが、ことのついでがある度に、贈り物を絶えることなく手に入れさせていた。
(赴任先の土佐の地から、ことあるごとに贈り物を途絶えることなく隣人に送っていた。)
※たより…機会、ついで
※ごと…~の度に
※物…贈り物
※得…ア行下二段動詞「得」(手に入れる) 未然形
※させ…使役の助動詞「さす」連用形
※たり…完了の助動詞「たり」終止形
今夜、「このようなこと。」と、大声で何も言わせない。
※声高に…ナリ活用形容動詞「声高なり」(大声で、声を張り上げるさま) 連用形
※ものも言わせず…何も言わせない
隣人が自ら作者の家の管理を願い出たにも関わらず、家は全く何もされずに荒れ果てている様子を指している。
その隣人には、事あるごとに贈り物もしていたので、作者の周囲の人は怒りをあらわにしている。
(隣人は)ひどく薄情だと感じられるけれども、お礼はしようとする。
※見ゆれ…ヤ行下二段動詞「見ゆ」(感じられる、思われる)已然形
※ど…已然形+ど→逆接確定条件(~けれども)
※こころざし…お礼、贈り物
※せ…サ行変格活用「す」(する) 未然形
※む…意志の助動詞「む」終止形
→むとす…~しようとする
そうは言うものの、池のようになって水が溜まっている所がある。
※さて…そうは言うものの
※池めい…「池」+「めく」(~のようになる)連用形「めき」のイ音便化
※くぼまり…ラ行四段動詞「くぼまる」(へこむ)連用形
※水つけ…カ行四段動詞「水漬く」(水に浸っている、水がたまっている) 已然形
※る…存続の助動詞「り」連体形
庭が荒れ果ててしまったためにもとの池が、池のように見えないということを言っている。
その(池の)近くに松もあった。
※き…過去の助動詞「き」終止形
(私が京を離れていた)5、6年の間に、千年が過ぎてしまったのだろうか、半分はなくなってしまっていた。
※うち…間、期間中
※や…疑問を表す係助詞
※けむ…過去推量の助動詞「けむ」連体形(係り結び)
※かたへ…半分
※に…完了の助動詞「ぬ」連用形(~てしまった)
※けり…過去の助動詞「けり」終止形
本来、松は千年も生きる長寿の木。
自分が土佐へ行っていたのは5、6年なのに半分もなくなるということは千年も経ったのだろうかと皮肉を言っている。
今生えたのが混ざっている。
※生ひたる…新しく生えた小松を指す
※ぞ…強調の係助詞
※交じれ…ラ行四段動詞「交じる」(混ざる、入り混じる) 已然形
※る…存続の助動詞「り」連体形(係り結び)
(庭の)大部分がみな荒れているので、「あぁ。」と人々が言う。
※おほかた…大部分
※たれ…存続の助動詞「たり」已然形
※あはれ…感動詞(あぁ)
※ぞ…強調の係助詞
※言ふ…ハ行四段活用動詞「言ふ」連体形(係り結び)
あはれ…しみじみとした感動
→悲哀や哀れみを表す意味が強くなる
をかし…明るい感動
※ぬ…打消の助動詞「ず」連体形
※思ひ…ハ行四段活用動詞「思ふ」(過ぎ去ったことを思う、思い出す)連用形
※恋しき…シク活用形容詞「恋し」連体形(「こと」などの省略が考えられる)
※うち…中
※もとろもに…一緒に
※いかがは…副詞「いかが」+強意の係助詞「は」(どんなに~か)
→程度の強調をしている
※悲しき…シク活用形容詞「悲し」連体形(係り結び)
※たかり…ラ行四段動詞「たかる」(群れて集まる) 連用形
※ののしる…ラ行四段動詞「ののしる」(大声で騒ぐ)終止形
※なほ…やはり
※悲しき…シク活用形容詞「悲し」連体形(「こと」などの省略が考えられる)
※堪え…ハ行下二段動詞「堪ふ」(我慢する、こらえる) 未然形
※ずして…打消の助動詞「ず」連用形+接続助詞「して」(~なくて)
※ひそかに…ナリ活用形容動詞「密か」(人知れず) 連用形
※心知れる…「心」+「知る」已然形+存続の助動詞「り」連体形(事情を知る)
※心知れる人…悲しみを分かち合える人。ここでは作者の妻のことを指す。
とぞ言へる。
※し…過去の助動詞「き」連体形
※も…係助詞
※帰ら…ラ行四段動詞「帰る」未然形
※ぬ…打消の助動詞「ず」連体形
※ものを…逆接の確定条件を表す接続助詞
※小松…小さな松
※ぞ…強意の係助詞
※言え…ハ行四段動詞「言ふ」已然形
※る…完了の助動詞「り」連体形(係り結び)
そうは言ってもやはり満足しないのだろうか、またこのように詠んだ。
※飽か…カ行四段活用「飽く」(満足する) 未然形
※なむ…強調の係助詞(結び「言へる」の省略)
打消の助動詞「ず」連用形+疑問の係助詞「や」+ラ行変格活用動詞「あり」未然形+推量の助動詞「む」連体形(結び)
打消の疑問(~ないであるだろうか)
亡くなった我が娘が、松が千年生きるように(生きることを)見ることができたならば、遠い国で悲しい別れをしただろうか、いやしなかっただろうに。
※見…マ行上一段動詞「見る」連用形
※し…過去の助動詞「き」連体形
※見し人…以前会った人→亡くなった娘
※の…主格の格助詞(~が)
※ましか…反実仮想の助動詞「まし」未然形
※ば…順接の仮定条件の接続助詞
・遠い土佐の国
・永遠の別れ(死別)
※まし…反実仮想の助動詞「まし」終止形
※や…反語の係助詞
忘れることが難しく、悔しいと思うことが多いけれど、書き尽くせない。
※口惜しき…シク活用形容詞「口惜し」(くやしい、残念だ)
※尽くす…サ行四段活用動詞「尽くす」(出し尽くす)未然形
「え」+動詞(未然形)+打消の助動詞「ず」
(~できない)
※とまれかうまれ…とにかく
【元の形】
ともあれかくもあれ
副詞「と」+係助詞「も」+ラ行変格活用動詞「あり」命令形+副詞「かく」+係助詞「も」+ラ行変格活用動詞「あり」命令形
→【変化形】とまれかくまれ
→【変化形】とまれかうまれ
※疾く…副詞(早く)
※破り…ラ行四段動詞「破る」(破る)連用形
※てむ…完了の助動詞「つ」未然形+推量の助動詞「む」
→意志の強調(~てしまおう)
【別解】
※て…強意の助動詞「つ」連用形
※む…意志の助動詞「む」終止形
本文は以上になります。
ここからは内容を振り返りながら、
まとめていきます。
久しぶりの我が家の様子は?
土佐での任期を終え、
数年ぶりに戻った我が家はどのようになっていたのでしょうか?
作者の家は隣人が管理してくれていたはずでした。
隣人は
・自ら願い出た
・作者は隣人に土佐から贈り物をしていた
それにも関わらず家の様子は…
- 家はどうしようもないくらい壊れて傷んでいる
- 池だったところは荒れて水たまりのようである
- 池のそばにあった松の半分はなくなった
荒れ果てた我が家に、
周囲の人たちは「かかること。」大激怒しました。
今にも隣人に文句を言いそうな人たちを、作者は「まあまあ」となだめます。
お供の人たちが怒って騒ぎたい気持ち、分かります!!
なぜ言わせないのですか?
紀貫之は彼らをなだめました。
せっかく京に帰ってきたのに、事を荒立てることで、これからの宮中での生活に影響が出ないようにと考えたのです。
京に戻り、これからのことを考えると隣人との間に波風を立てたくない作者。
隣人を薄情だと思いながらも、お礼はしっかりしようとします。
そうは言っても、庭も荒れ放題…
作者がそれ以上に悲しかったことは?
作者にはこの京の家で生まれた娘がいました。
その娘は一緒に土佐へ行っていたのですが、土佐の地で亡くなってしまいます。
土佐から京に着いて、喜ぶ周りの仲間たちや子どもたちの様子を見るのは辛く、
「京に着いた!やった~!」って騒いでいる子どもたちを見たら
自分の亡くなった娘を思い出してしまったんですね…
他のみんなは京に着いたことを喜んでいるので遠慮して、自分たちは「ひそかに」悲しんだのです。
また荒れた我が家に生えた小松を見て、庭に生えた小松と亡くなった娘を重ねているのですね。
千年も生きる松のように、自分の娘もずっと生きててくれたらよかったのに…と詠み、妻と悲しみを分かち合います。
一度読んだだけでは気持ちにおさまりがつかず、もう一つ和歌を詠んでいますね。
夫婦の深い悲しみが感じられます。
そんな和歌を詠んだあと、衝撃の一文でこのお話は終わります。
作者はなぜこの日記を破り捨てたかったのか?
最後の「とまれかうまれ、疾く破りてむ。」
という衝撃の一文で終わります。
これまで書いてきたこの「土佐日記」を、破り捨ててしまおうと結んでいます。
これは「門出」の冒頭の文との一貫性を持たせるための表現でした。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。
(男もするという日記というものを、女もしてみようと思ってするのだ。)
→男である作者の紀貫之が、女性が書いたことにした日記。
「土佐日記」は正式なものでなく、大したものじゃないからたくさんの人に読まれる価値のあるものではないとし、「こんなものは早く破り捨ててしまおう」と結んだのです。
でも実際に破りすてたわけじゃないから、
こうして私たちが読めているのですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
・土佐からの帰京
・隣人トラブル
・娘との別れ
という盛りだくさんの内容でしたが、理解できましたか?
その上この「帰京」は土佐日記の締めくくりの話なので、「とまれかうまれ、疾く破りてむ。」という結びの文章となっていました。
日記に一貫性を持たせるためのこの文章は、さすがです。
しかし文章通りには破り捨てられませんでした。
これによって紀貫之の和歌などの表現の素晴らしさはもちろん、隣人の薄情さを世間に広めることにも成功したのではないでしょうか。
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