華やかな都を後にして、源氏がたどり着いたのは須磨の浦。
聞こえてくるのは波の音と、泣き声が重なるような寂しい響き――。
もし現代にたとえるなら、出世街道から外れ、地方に左遷されたエリートのようなものかもしれません。
けれど、この「須磨の秋」こそが、光源氏にとって人生の転機。苦しみの中で見えてくる景色が、物語を大きく動かしていきます。
ここでは「須磨の秋」を理解したい方のために、物語の背景・登場人物・あらすじを整理して、本文を読む前に理解しておきたいポイントを解説します。
「須磨の秋」とは?華やかな源氏が辿る“失意の秋”
「須磨の秋」は、『源氏物語』巻十二「須磨」の中の一場面です。
都を追われ、須磨で孤独に秋を迎える光源氏。
波の音や秋風といった自然描写が、彼の寂しさと不安をいっそう際立たせています。
なぜ源氏は都を追われたのか
恋が招いた政治的な危機
源氏は桐壺帝の皇子でありながら臣籍降下し、自由に恋愛を楽しんできました。
しかし、それによって須磨へ下ることとなります。
- 政敵である右大臣の娘
- 朱雀帝の侍女でもある(朱雀帝の寵愛を受ける)
これによって、朱雀帝の母である弘徽殿女御が激怒し、源氏を政界から追放するように右大臣に働きかけます。
このままでは、政界に戻ることができないと思った源氏は「自ら籠って反省しています」と周囲に示す意味で、須磨に下ることにしたのでした。
須磨は漁師の家が点在する程度の、寂しい田舎町でした。
平安貴族にとって須磨は、都からそれほど遠くもなく、隠棲の地でもあったのです。
源氏がこの絶妙な須磨へ下ったのも、それ以上遠くへ飛ばされることを避けるという意図もありました。
登場人物
「須磨の秋」に登場・言及される人物を整理しましょう。
光源氏一行、都にいる人々、政敵といった物語上の人物だけではありません。
実在の人物も登場したり、それらの人物の作品についても触れられています。
物語の登場人物
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光源氏:主人公。桐壺帝の子でありながら臣籍降下するが、権力争いに巻き込まれる。自由な恋愛を好むが故に、須磨に下ることになる。都が恋しくて、寂しくてたまらない。
- 良清 :源良清。須磨に同行した家臣。源氏の心を慰める。
- 民部大輔 :藤原惟光。源氏の乳兄弟であり、最も信頼できる家臣。
- 前右近将監:尉の蔵人。源氏と親しくしていた為に右近将監の任を解かれたため、「前」となっている。須磨へ同行を自ら願い出た。
- お供の人々(人々):源氏に従い、日々の生活や心情の支えとなる。源氏の孤独や寂しさを和らげる存在。
※良清、民部大輔、前右近将監以外に数名いたと思われる - 藤壺の宮(入道の宮):源氏の義母であり最愛の女性。源氏にとって特別な存在で、遠く離れた須磨でも思い出される。
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朱雀帝(上):源氏の異母兄。譲位後に政権を握る。優しく穏やかな性格で、源氏の兄として親しく接し、亡き桐壺院の面影を重ねる存在。
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桐壺院(院):源氏と朱雀帝の父。
以下の人物は、「須磨の秋」には登場しないものの、源氏の状況を理解するのに押さえておきたい人物です。
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朧月夜:右大臣の娘で朱雀帝の侍女。源氏が思いを寄せたことで政争のきっかけとなる。
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右大臣・弘徽殿女御:源氏の政敵。朧月夜への源氏の思いに反応し、源氏の須磨下向につながる。
実在の人物
話の中に名前が出て来る人物は、以下のとおりです。
- 行平の中納言:在原行平を指す。実際に須磨に流されていた時期があり、『源氏物語』の「須磨」のモデルとなったと言われている。
- 千枝:宮廷絵師
- 常則 :飛鳥部常則。平安時代中期の宮廷絵師。
- 白居易:唐の詩人。「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」が引用。ここでは十五夜の月は、左遷された友人と都にいる自分をつなぐものとして用いられている。
- 菅原道真:平安時代の貴族。宇多天皇に重用されて、右大臣にまで昇進。しかし藤原時平と醍醐天皇の策略により、大宰府に左遷される。ここでは、その頃に詠んだ漢詩の一節である「恩賜の御衣は今ここにあり」が用いられている。
人物関係を整理しておくと、内容がぐっと理解しやすくなります。
あらすじ ― 孤独の須磨、都への思い ー
須磨での生活は質素で、都での華やかな日々とはまるで別世界でした。
秋風や波の音を耳にするたびに、都に残した人々のことを思い出し、源氏は涙を流します。
和歌の世界では、自然の音に自分の感情を重ねる表現がよく使われました。
「泣き声と波音」を重ねる技法はその典型。
須磨の場面では、自然と人の心が溶け合うように描かれています。
しかし、自分が悲しんでいてはついて来てくれたお供の人々が心細く感じるだろうと思い、源氏は気遣いを見せます。
冗談を言ったり、和歌や絵をかいたりして過ごします。
お供の人々は、優しく思いやり深く、主君としても立派に振る舞う源氏のお姿に心を慰められます。そして、世の辛さを忘れて、おそばに仕えることを喜びとし、毎日お仕えしていました。
ある夕暮れ、源氏は渡り廊下にたたずみ、経を口ずさみます。その姿は不吉なほど美しく見えるのでした。
源氏が雁の声や舟歌に都への思いを募らせて和歌を詠むと、お供の良清、民部大輔、前右近将監も、それに合わせて和歌を詠みます。交わされる和歌のやりとりから、源氏とお供の人々との絆が感じられます。
前右近将監も本当は思い悩むことがあるはずですが、平気な様子で過ごしています。
源氏の気遣いもすばらしいですが、お供の人々も源氏を気遣いながら過ごしている様子がうかがえます。
須磨の夜、満月の光が源氏を照らします。清涼殿での管絃の遊びや、遠く離れた愛する姫君たちのことを思うと、思わず声をあげて泣いてしまうほどでした。源氏は、和歌を詠むことで心を慰めます。月に遠く離れた人々とのつながりを感じ、再び出会える希望を抱く姿が描かれています。
また、朱雀帝から賜った着物を、菅原道真の漢詩のように肌身離さずそばに置いています。そこには、朱雀帝への複雑な思いも表れているようでした。
「須磨の秋」の物語が転機となる理由
「須磨の秋」はただの失意の場面ではありません。
ここでの孤独な時間が、のちの明石での出会いや、都への帰還と再びの栄光につながっていきます。
つまり、「須磨の秋」は源氏が苦難から再生へと向かう大きな転換点なのです。
まとめ
『源氏物語』において「須磨の秋」は…
- 源氏が都を追われて須磨に下る場面。
- 恋と政治のもつれが背景にあり、孤独と都への思慕が自然描写と重なる。
- 須磨にいる人物/都にいる人物/実在の人物 を押さえると理解しやすい。
- 源氏の転落と同時に、後の再生への出発点でもある。
「須磨の秋」は、物語としての面白さはもちろん、実在の人物の和歌や漢詩を用いるなど、紫式部の博識さと文学的技巧の高さが際立つ部分でもありました。
登場人物の立場や関係を理解しながら読むことで、源氏の涙や和歌に込められた思いを味わいやすくなったのではないでしょうか?
これで、きっと「須磨の秋」がぐっと身近に感じられるはずです。
本文の現代語訳・解説も是非読んでみてください。
源氏物語「須磨の秋③前栽の花いろいろ咲き乱れ~」現代語訳・解説
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