「もう一杯だけ、飲んでいかないか?」
そんな言葉で締めくくられるこの詩は、1200年以上前の中国・唐の時代に書かれました。卒業、転校、引っ越し……。大切な人との別れを経験したことがある人なら、この詩に込められた「言葉にできない寂しさ」がきっと胸に響くはずです。
今回は、数ある別れの詩の中でも「最高傑作」と名高い、王維の「送元二使安西(元二の安西に使ひするを送る)」を解説します。作者の心情を、一緒にのぞいてみましょう。
この詩が読まれた背景を解説してから、実際に本文を読んでいきます。
内容(直訳)だけを知りたい方は、「白文・書き下し文(読み仮名付き)・現代語訳・語句解説」の項目からご覧ください。
王維「送元二使安西(元二の安西に使ひするを送る)」現代語訳・解説

この詩が読まれた背景
この詩を深く理解するために、当時の状況を少し整理してみましょう。
作者・王維
王維は、エリート官僚であると同時に、多才な人物でした。書道や音楽、そして優れた画家でもありました。王維の詩は「詩中画あり、画中詩あり」と言われ、この詩の冒頭で描かれる朝の風景が、まるで絵画のように美しいのも納得できます。
目的地「安西」は辺境の地
友人の元二が向かう「安西」は、現在の新疆・ウイグル自治区にあたります。当時の都・長安からは遠く離れており、砂漠が広がる過酷な辺境の地でした。
詩に出てくる「陽関」は、当時の国境の関所です。ここを越えると西域とされます。何が起きるかわからない危険な長旅。「元二とは、もう二度と会えないかもしれない」そんな思いが王維を襲います。
見送りにあたって
親しい人が旅立つ際には、酒を酌み交わす。酒を酌み交わしながら別れを惜しむ漢詩が、多く残されています。その宴会は数日間、長いと一か月と続くこともあったようです。また「柳」の枝を丸い環にして送る習慣があったことから、この詩に「柳」が登場する意味が理解できると思います。
では、これらを踏まえて本文を見ていきましょう。
白文・書き下し文(読み仮名付き)・現代語訳・語句解説
題名:送元二使安西
元二の安西に使ひするを送る
| 元二 |
人名。王維の友人。朝廷の官僚(役人)であり、皇帝の命令によって、はるか西方の「安西都護府」へ行くこととなった。
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| 安西 |
地名。現在の中国・新疆ウイグル自治区にあった唐の軍事・行政拠点。王維がいる長安からは数千キロ離れた砂漠地帯の入り口。
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| 使ひする | 使者として派遣される |
| 送る | 見送る |
【訳】元二が安西に派遣されるのを見送る
① 渭城朝雨浥軽塵
渭城の朝雨軽塵を浥ほし
| 渭城 |
地名。咸陽の別名。渭水を挟んだ長安の対岸にある。当時は西域に向かう人を見送る場所とされていた。
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| 朝雨 | 朝に降る雨 |
| 軽塵 | 地面に軽く積もった土ぼこり |
| 浥ほし |
サ行四段活用動詞「浥ほす」(しっとりさせる)連用形
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【訳】渭城の朝に降る雨は、地面に積もる土ぼこりをしっとりさせた

この渭城という地は、黄土高原の南端に接した場所で、土ぼこりが舞いやすい場所でした。
② 客舎青青柳色新
客舎青青柳色新たなり
| 客舎 | 旅籠 |
| 青青 | 草木などが青々としている様子 |
| 柳色 | 青々とした柳の葉の色のこと |
| 新たなり | 新しいさま、新鮮 |
【訳】旅籠の(周囲にある)青々とした柳の葉は(雨に降られて今生まれたかのように)新鮮に見える
③ 勧君更尽一杯酒
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
| 君 |
あなた(ここでは元二のことを指す)
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| 勧む | 勧める |
| 更に | さらに |
| 尽くせ |
サ行四段活用動詞「尽くす」(なくす、終わりにする)命令形
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【訳】あなたに勧める、さらに飲み干してくれ、この一杯の酒を

柳が青々としていることと、元二に酒をさらに勧めることとの、関係がよくわかりません。

ここで、「この詩が読まれた背景 」 のところで触れた「柳の枝を丸い環にして送る習慣」が関係してきます。この習慣には、「旅人に無事に帰ってきてほしい」という願いや「自分の相手への思いを留める」という意味が込められていました。
王維と元二は、今回の別れに際し、何度も酒を酌み交わしてきたことと思います。別れの覚悟もできたと思っていたけれど、青々とした柳が逆に別れの寂しさを際立たせ、「やっぱりもう一杯飲んでくれ!」と引き留めたくなっているという王維の思いがあふれているのです。
④ 西出陽関無故人
西のかた陽関を出づれば故人無からん
| 西のかた | 西の方角 |
| 陽関 | 地名。西域への関所。 |
| 出づれば |
ダ行下二段活用動詞「出づ」の已然形+「ば」(~出れば)
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| 故人 | 昔なじみの友 |
| 無からん |
ク活用の形容詞「なし」未然形+推量の助動詞「む」終止形
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【訳】西の方角にある陽関を出れば、(君に酒を勧める)昔なじみの友はいないだろう

これは、何をいっているのでしょうか?

「西域への関所を越えたら、俺みたいにお前に酒を勧める友だちなんていないだろからさ」と言いながら、「もう元二とは、二度と会えないかもしれない…」と寂しくて仕方がない王維の思いが感じられます。
詩の形式・押韻
この詩の形式は、七言絶句です。


押韻は、第一句末の「塵 jin」、第二句末の「新 sin」と第四句末「人 jin」になります。
作者の思い
王維は、なぜこれほどまでに「もう一杯」を強調したのでしょうか。
「鮮やかな春の朝」と「王維の心境」の対比
雨が土ぼこりをしずめ、柳の緑が鮮やかに見える、清々しいはずの春の景色。
元二の西域への任務は、左遷ではありません。本当ならば、任地へ向かう友人を晴れやかに送り出したいところ。しかし、王維の心は元二との長い別れを思い、沈んでいます。
春の景色の美しさが、かえって別れの悲しさを引き立てているのです。
言葉にできないから「酒」を勧める
「気をつけて」「元気でね」……そんなありきたりな言葉では、溢れる思いを伝えきれません。だからこそ王維は、「さあ、もう一杯」とだけ言いました。その一杯には、「行かないでほしい」という本音と、「無事でいてくれ」という祈りが、なみなみと注がれています。
親しい友人が、今から砂漠の果ての、もしかしたら二度と戻れないかもしれない危険な任務に旅立とうとしている。だからこそ、王維は「もう一杯飲んでくれ、まだ行かないでくれ」という言葉を飲み込んで、静かにお酒を注いだのです。
王維の生涯や他の漢詩に興味がある方は、下記も読んでみてください。
まとめ
この詩は、後に「渭城曲」という曲がつけられ、別れの宴席で何度も歌われる曲となりました。人々が別れる際、この詩の最後の一節を三度繰り返して歌う「陽関三畳」という風習まで生まれたほどです。
「元気で」という言葉を飲み込んで、「もう一杯」とグラスを差し出す。 そんな不器用で温かい友情の形は、1200年経った今の私たちにとっても、決して古びることはありません。漢文の授業でこの詩に出会ったら、ぜひ王維と元二、二人の間に流れていた「静かな沈黙」を想像してみてください。


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