歴史を変えた「正反対」な二人
漢文の教科書で必ず出会う『史記』。その主役である項羽と劉邦は、性格も生い立ちも、何もかもが正反対でした。
圧倒的な武力を持つエリートの項羽が、なぜ「ならず者」出身の凡人・劉邦に敗れたのか?その理由は、単なる戦略の差ではなく、「リーダーとしての在り方」にありました。
この記事では、二人の勝敗を分けた決定的な違いを解説します。
※教科書では劉邦を「沛公」と呼んでいますが、この記事では「劉邦」と呼びます。
ひと目でわかる!項羽と劉邦のスペック比較
まずは項羽と劉邦のスペックを、サクッと確認しましょう。

こうして見ると、本当に対照的な二人であることがわかります。
スペックで見ると、項羽が優位に感じられます。しかし最終的に勝利を収めたのは、劉邦でした。その理由について見ていきましょう。
項羽の元を去った優秀な部下たち
個人としても最強の項羽。そして、項羽の陣営には、のちに歴史を動かす天才たちが揃っていました。しかし、彼らは一人、また一人と項羽の元を去っていきます。なぜ、最強の男の元から、人がいなくなったのでしょうか?
韓信(かんしん)
最強の武器を「門番」で腐らせてしまった
のちに劉邦を天下人へと押し上げる韓信は、もともと項羽の元で「門番」を務めていました。
韓信は何度も戦術を進言したものの、項羽は取り合いませんでした。
項羽にとっての強さとは、「自分が先頭で敵をなぎ倒すこと」であり、盤上で戦略を練ることの重要性を理解できなかったのです。
味方にしていたら「最強の武器」となっていたはずの韓信を、項羽は自ら宿敵へ渡してしまったと言えます。
陳平(ちんぺい)
報われない功績
有名な「鴻門の会」で項羽側の人間として参加し、「劉邦のトイレ長いから、呼んで来い」なんて言われていた人物でしたね。そんな軍師・陳平も、項羽の元を去った一人です。陳平は策士としての才能に優れ、目の前の問題を解決する力に長けていました。
項羽に仕えていた時はなかなか取り立ててもらえず、殷王である司馬卬を降伏させたことで昇進したものの、司馬卬が劉邦軍に降ったことで項羽に命を狙われることになってしまい、逃げ出すしかありませんでした。
もともと項羽は血縁を重視し、一族の意見しか聞き入れないことや、功績に対する褒美が不十分であることにも不満がありました。
范増(はんぞう)
唯一の理解者を信じ切れず、切り捨てた
項羽は范増を「亜父(父のように信頼している存在)」と、慕っていました。そんな范増との決別は、項羽軍崩壊の決定打と言える出来事でした。
劉邦軍の謀略により、項羽は「范増が漢とつながっている」とい疑い、范増を排除していきました。激怒した范増は「天下の事は大いに定まるかな。君王自ら之を為せ。(天下の行く末はおおよそ決まったようなものだ。あとは項羽がご自分ででやればいい)」と言い残して、去って行った。

こうして見ていくと、「優秀な人材に去られた」というより、「自ら手放した」って感じですね。

それに対して劉邦はどうだったのか、見ていきましょう。
劉邦の天下統一を支えた「三傑」への全権委任
対する劉邦は、自分に能力がないことを誰よりも知っていました。だからこそ、彼は三人の天才に任せることができたのです。その三人は「漢の三傑」と呼ばれる人たちでした。
軍師・張良(ちょうりょう)
「君の頭脳は最強!戦略は全て任せた!」
貴族出身のエリートである張良に対し、劉邦は常に教えを請う姿勢を崩しませんでした。張良も本来なら、劉邦のような「ならず者」の下につくということは、考えられなかったはずです。
しかし、これまでどの武将に戦略を説いても、聞く耳を持たれなかった張良。劉邦だけが、熱心に自分の話を聞いてくれました。劉邦の度量の大きさや人を大切にする人柄に触れ、「彼こそ天下を治める人物」と仕えることを決めたのでした。
将軍・韓信(かんしん)
「軍のことは君に任せた!俺は何も口出ししないからヨロシク!」
もとは項羽の元で、門番として仕えていた韓信。当初、劉邦は韓信に興味も示しませんでした。しかし、信頼する蕭何に強く推薦され、将軍に任命して、軍の全権をゆだねることにしました。
家柄も武功もなかった韓信はそれに応えるように、多くの功績を挙げていきました。
軍師:長期的に戦略を練ったり、政治的な動きをする
将軍:戦場で具体的な戦闘方法に関する指揮を執る
内政・蕭何(しょうか)
「あなたのことは全面的に信頼してるぞ!国については、補給と内政のすべてを任せた!」
戦争においては後方支援を担当し、政治的には法律を作るなどして国を安定させました。
もともと蕭何と劉邦は幼馴染で、何かと問題を起こす劉邦の面倒をみてきました。劉邦は、蕭何を全面的に信頼しているのです。韓信を抜擢したのも、自分の判断よりも「韓信を信頼する蕭何」を信頼したからこそなのです。
また蕭何の働きに対して、劉邦は多くの褒美を与えました。「蕭何は一度も戦に出ていないではないですか!!」と反発する兵士たちに、劉邦は蕭何の功績を述べて、黙らせたというエピソードもあります。
劉邦の強さは、「自分の弱さを認め、他人の強みを活かしたこと」にあります。これが「漢」という、巨大な組織の基盤となりました。
「自分の弱さを認めた」劉邦ですが、実際にどんな弱さがあったのか、次はダメダメエピソードをご紹介します。
劉邦のダメダメ エピソード
完璧で一人でなんでもできてしまう項羽に対して、劉邦の「情けなくてかっこ悪いダメダメ エピソード」をご紹介します。
逃亡中に自分の子どもを馬車から蹴り落とす
彭城の戦いで、項羽に大敗して逃げている時のこと。
馬車のスピードを上げるために、劉邦は同乗していた自分の子どもたちを馬車から突き落としました。
部下の夏侯嬰が、そのたびに子どもたちを拾い上げたと言います。

「ダメダメ」って言うより、クソ親父じゃないですか!!どこが「人を大切にする男」なんですか!?

劉邦の行動は、当時から見ても異常ですね。
これは「プライド」よりも「自分が生きることを優先した」結果、天下を治めることができたというエピソードですね。
息子はのちに皇帝になっていますし、無事であったことがわかります。
儒学者の帽子に放尿
劉邦は「ならず者」と言われるにふさわしいエピソード。教養のある人間を嫌う側面がありました。
劉邦は儒学者の服装をしている人を見れば蹴り飛ばしたり、儒学者の帽子の中に用を足したそうです。
そんな一面がありながらも、酈食其の叱咤を受けて態度をあらためるという素直な一面もありました。

ダメダメというか、子どものような人ですね…
トイレに行くフリをして逃げる
有名な「鴻門の会」での一幕です。
項羽の陣営に招かれて、命を狙われた劉邦。トイレに行くフリをしてそのまま宴席を退出しました。本来ならば、堂々と別れを告げて退出すべきところです。劉邦もそうしたほうがいいのでは?と思いましたが、樊噲の助言もあり命を守ることを優先することにしました。
鴻門の会で、劉邦の護衛として参加した将軍。劉邦の危機を救う。
劉邦が沛県で挙兵したころからの盟友。のちに劉邦の妻の妹と結婚したことにより、劉邦とは義兄弟となり、さらに絆は深まった。

こんな劉邦だったからこそ、周囲の人は「自分が助けなければ!」と思ったのかもしれませんね。
こんな劉邦になぜ項羽は負けたのか?その答えをまとめていきましょう。
なぜ項羽は負けたのか?「強すぎた」ゆえの孤独
項羽は、自分一人で何でもできてしまったことが災いしました。
・裏方の功績を軽視
・人を信用できない
これらによって、周囲の人々は去っていくこととなりました。
項羽は「強すぎて誰の助けも必要としなかった」ために、最後は「四面楚歌」の状況で誰にも助けてもらえなくなったのです。
自分で何でもできる人は、周りに頼る必要がありません。しかし、なんでも自分でやるには限界があります。
それに対し、自分に足りないことを素直に認め、それを周囲の人間に補ってもらうことで自分の実力以上の行動ができた劉邦。
項羽がかなわないのは、当然と言えるでしょう。
リーダーの仕事は「任せること」に尽きる
二人の違いが大きな差となり、項羽が敗北しました。
・項羽は「点(個人の力)」で戦い、劉邦は「面(組織の力)」で戦った。
・意地を通した項羽は滅び、恥をしのんででも生き残った劉邦が天下をとった。
劉邦は、天下を取ったあとの祝宴でこう語ります。「作戦では張良に及ばない。政治では蕭何に及ばない。軍事では韓信に及ばない。だが、私はこの三傑を使いこなすことができた。これこそが、私が天下を取った理由である」と。
劉邦は「自分ができないこと」を部下に任せ、それを認め感謝することで、一人では到底成し遂げられない奇跡を成し遂げたのでした。
項羽は「自分以外の誰も信じ切れない」ために、部下たちを「駒」としか見ていませんでした。それによって、人々は離れていきました。
また、自決する前の発言にも注目しましょう。項羽は、「天が私を滅ぼそうとしているのだ」と言いました。
自分の力を過信し、敗北の理由が自分にあることを認めず、天にあるとしたのです。
あなたは、全てを自分で成し遂げようとする孤独な項羽に憧れますか?それとも、弱さをさらけ出し、仲間の才能を爆発させる劉邦になりたいですか?
もっと深く知りたい方へ
この記事を読んで、もっと詳しく知りたくなった方は、こちらをご覧ください。
史記「鴻門之会(鴻門の会)」とは?|登場人物をおさえてサクっと理解
史記「鴻門之会①/項羽、大いに怒る(楚軍行略定秦地~)」現代語訳・解説
史記「鴻門之会②/剣の舞(沛公旦日従百余騎~)」現代語訳・解説
史記「鴻門之会③/樊噲、頭髪上指す(於是張良至軍門~)」現代語訳・解説
史記「鴻門之会④/豎子、与に謀るに足らず(沛公已出~)」現代語訳・解説
【オススメの一冊】
長期休暇にじっくり読みたい名作と言えば、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』です。これを読むと、歴史の解像度が100倍上がります。


コメント