今回は『世説新語』より「王昭君」を見ていきます。
このお話は元帝の宮女であった王昭君という美しい女性が、匈奴の国に嫁ぐことになるお話です。
・その後王昭君はどうなったのか?
史実にも触れながら解説をしていきます。
「王昭君」現代語訳・解説
それでは「王昭君」についてみていきましょう。
書き下し文と現代語訳から、内容を解説していきます。
内容(白文・書き下し文・現代語訳・解説)
白文
書き下し文(漢字のふりがなは現代仮名遣いで表記)
※青…単語、文法
それでは丁寧に読んでいきましょう。
漢元帝、宮人既多、乃令画工図之。
漢の元帝、宮人既に多ければ、乃ち画工して之を図かしむ。
※画工…絵描き
※〇〇して△△しむ…使役(〇〇に△△させる)
本来ならば宮女を自分の目で召す女性を選ぶところですが、絵描きに似顔絵を描かせて、カタログのようにしていたということです。
欲有呼者、輒披図召之。
呼ぶ有らんと欲するときは、輒ち図を披きて之を召す。
呼びたい者がいるときは、そのたびごと似顔絵を開いてこれ(宮女)を呼び寄せた。
※輒ち…そのたびに
其中常者、皆行貨賂。
其の中常なる者は、皆貨賂を行ふ。
賄賂を使うとはどういうことでしょうか。
元帝が似顔絵を見て呼び寄せる人を決めていることから、宮女たちは絵描きにお金を渡して(賄賂を使って)、美しく描いてもらおうと考えたんですね。
王昭君姿容甚麗、志不苟求。
王昭君姿容甚だ麗しく、志苟くも求めず。
王昭君はなぜ絵描きに賄賂を使わなかったのでしょうか?
「自分の美しさに自信があったから」という理由が挙げられます。
賄賂など使わなくても美しく描かれると思ったいたのでしょう。
工遂毀為其状。
工遂に毀ちて其の状を為る。
【直訳】破壊してその姿を作った。
【意訳】(王昭君の美しさや評判を)壊すように、その(=王昭君の)容姿を(醜く)描いた。
※遂に…その結果、とうとう、最後には
※毀ちて(毀つ)…壊す、破壊する、そぎ落とす
※状…ありさま、姿、かたち
直訳すると意味がまったく分かりませんでした。
単語の意味を踏まえて、言葉を補いながら意訳をしました。
このことから絵描きは賄賂をくれた女性を美しく描くだけでなく、賄賂をよこさなかった女性は醜く描いたということが分かります。
また一説には絵描きが王昭君に激しく求愛したものの相手にされず、恨んで醜く描いたという話もあるようです。
後匈奴来和、求美女於漢帝。
後に匈奴来たり和し、美女を漢帝に求む。
その後、匈奴が友好な関係を結ぶ為に(漢の国に)やって来て、美女を漢の皇帝に要求した。
※和し(和す)…和らげる、平和にする、仲良くする
※求む…欲しいと望む、相手に要求する
帝以昭君充行。
帝は昭君を以つて行に充つ。
元帝は王昭君を(匈奴に嫁がせる女性に)あてた。
元帝はなぜ王昭君を選んだのでしょうか?
野蛮な匈奴の国に良い女なんてやらなくていい
という思いがあったと考えられます。
画家の似顔絵から「この醜い女でいいだろう」と選んだのです。
既召見而惜之、但名字已去、不欲中改。
既に召見して之を惜しむも、但だ名字已に去れば、中改するを欲せず。
まもなくして(元帝は王昭君を)呼び寄せて対面して、このことを惜しいと思ったが、しかし名前と字が、もう匈奴に知らされていたので、途中で変更しようとはしなかった。
※既に…やがて、まもなく
※召見…呼び寄せて対面すること
※但だ…ただし、しかし
※中改…物事の途中でやめて新しくする
元帝はここで初めて実際に王昭君を見ました。
あまりの美しさに「匈奴に嫁がせるのは惜しい!」と後悔します。
しかし王昭君の名を匈奴に知らせていたので、
今から新しい人に変えるのは体裁が悪いと思い、変更しなかったのです。
於是遂行。
是に於いて遂に行る。
本によってはこのお話の続きがあります…
王昭君を嫁がせたことに後悔した元帝はその後、
王昭君を醜く描いた絵描きを処刑したというものです。
似顔絵で適当に選んで「あの国にはこいつでいいや」みたいな選び方しておいて、実際に選んだのが絶世の美女だとわかったらその対応とは…
元帝ってなかなかヤバい人ですね。
史実はいかに?王昭君の嫁いだ後は?
歴史的事実を確認してみましょう。
19歳で匈奴の国に嫁ぐ(呼韓邪の妻となる)
その後は
呼韓邪との間に一男をもうける
呼韓邪の死後、ついで即位した呼韓邪の別の子どもの妻となり二女をもうける。
「若く美しい彼女が、一人で異国の地に行くのはかわいそうで悲しい…」といった内容でした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
絶世の美女である王昭君は、絵描きに賄賂を使わなかったために、元帝用の似顔絵カタログに醜い姿で載ることになってしまいました。
その結果、匈奴の国に嫁がせる女性として選ばれてしまいます。
初めて王昭君と対面した元帝は、そのことを悔やみますが、あとの祭り。
絵描きによって人生が狂わされた悲劇のヒロインとして、語り継がれる存在となりました。嫁ぎ先で穏やかに暮らしたとも言われる彼女ですが、匈奴の国につく前に自ら命を絶ってしまうという物語すらできる始末。
美女と悲劇のエピソードは切っても切れないのでしょうか?
その方が人々の心をつかむということで、お芝居のストーリーとしても用いられたのかもしれませんね。
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