今回は、陶潜(陶淵明)の「桃花源記(桃花源の記)」について現代語訳と解説をしていきます。
このお話は「桃源郷」という理想の社会を表す言葉のもととなったお話です。
少々長いお話なので、あらすじを紹介しましょう。
その村はきれいに整備され、平和な理想郷のような村だった。
村人は漁師の姿に驚きつつも歓迎してくれた。
村人は漁師に「この村のことは口外しないでください」とお願いしたものの、自分の村に帰った漁師はペラペラと話してしまう。
もう一度あの村へ行こうとするが、行くことはできなかった。
その後、劉子驥という高尚の士がその村を目指すが、到着できずに途中で命を落としてしまう。
そうして二度とその村にたどり着く者はいなかった。
・村人が漁師に村のことを口外しないように言った理由は?
・どうして漁師は約束を破ってしまったの?
・なぜ誰もその村にたどり着くことができなかったのか?
・その後誰もたどり着けなかったその村に、なぜ漁師だけが行くことができたのか?
「桃花源記(桃花源の記)」現代語訳・解説
書き下し文と現代語訳から、内容を分かりやすくするために解説をしていきます。
内容(白文・書き下し文・現代語訳・解説)
ルビは現代仮名遣いで表記してあります。
文法や指示語の解説などもしながら、丁寧に読んでいきましょう。
白文
書き下し文(漢字のふりがなは現代仮名遣いで表記)
※青…単語、文法
※赤…指示語の解説
晋太元中、武陵人捕魚為業。
晋の太元中、武陵の人魚を捕らふるを業と為す。
一応解説しますが、「武陵が人魚を捕らえる」訳ではないです(笑)
縁渓行、忘路之遠近。
渓に縁りて行き、路の遠近を忘る。
谷川に沿って行くうちに、どれほどの道のりを来たのかも忘れてしまった。
忽逢桃花林。
忽ち桃花の林に逢ふ。
突然桃の花が咲いている林に行き当たった。
夾岸数百歩、中無雑樹。
岸を夾むこと数百歩、中に雑樹無し。
(その桃の林は)川を挟んで両岸に数百歩の距離にわたって続き、その中には他の木はなかった。
桃の木しか生えていない不思議な場所に迷い込んだんですね。
芳草鮮美、落英繽紛。
芳草鮮美、落英繽紛たり。
香りのよい草は鮮やかで美しく、花弁が辺り一面に乱れ散っている。
漁人甚異之、復前行、欲窮其林。
漁人甚だ之を異しみ、復た前み行きて、其の林を窮めんと欲す。
漁師はたいそうこのことを不思議に思い、さらに進んで、その(桃の)林を行けるところまで見極めようとした。
※之…桃の林の光景(芳草鮮美、落英繽紛)
この林がどこまで続いているのか見てみようとした、と言っています。
林尽水源、便得一山。
林水源に尽き、便ち一山を得たり。
林は谷川の水源のところで切れると、そこで1つの山を見つけた。
山有小口、髣髴若有光。
山に小口有り、髣髴として光有るがごとし。
山には小さな穴があり、その中はなんとなく光がさしているように見える。
便捨船従口入。
便ち船を捨てて口より入る。
(漁師は)すぐに船を置いて穴から入った。
初極狭、纔通人。
初めは極めて狭く、纔かに人を通ずるのみ。
はじめはとても狭く、かろうじて人一人が通ることができるだけであった。
復行数十歩、豁然開朗。
復た行くこと数十歩、豁然として開朗なり。
さらに数十歩行くと、急に目の前が開けて明るくなった。
土地平曠、屋舎儼然。
土地平曠にして、屋舎儼然たり。
土地は平らかに開けていて、建物はきちんと整って並んでいる。
ここからいよいよ舞台である村の様子です。
整い、栄えた村であることがわかる表現が続きます。
有良田・美池・桑竹之属。
良田・美池・桑竹の属有り。
良い田畑・美しい池・桑や竹のたぐいがある。
阡陌交通、鶏犬相聞。
阡陌交はり通じ、鶏犬相ひ聞こゆ。
田畑のあぜ道が縦横に通じ、鶏や犬の鳴き声があちこちから聞こえる。
鶏犬相聞というのは、村の家どうしが近い状態で並んでいる続きになっている様子を指します。
そこから平和でのどかなな田舎風景を表す言葉として使われます。
ここでは「平和な理想郷の象徴」として表現となっています。
其中往来種作男女衣著、悉如外人。
其中の往来種作する男女の衣著は、悉く外人のごとし。
黄髪垂髫、並怡然自楽。
黄髪垂髫、並怡然として自ら楽しむ。
黄髪って金髪の異国の人のことを言っているのではないのですか?
この「黄髪」は「黄色がかった白髪」です。
ちなみに「黄髪垂髫」は老人と子どもを表す四字熟語です。
作者はなぜこのような村を描いたのでしょうか?
作者の陶淵明が生きた時代は戦乱の後、政治に対する失望などの社会不安があり、実際の社会とは正反対の理想郷を思い描いていたと言われています。
また理想郷については、老子の「小国寡民」に影響を受けていることがわかります。
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