はじめに
今回も『去来抄』を読んでいきます。
この「うづくまる」という話は、芭蕉の亡くなる間際のことが描かれています。
死を前にして、芭蕉は弟子たちに何を教えようとしたのでしょうか?
読み取っていきましょう。
去来抄とは?
成立:江戸時代
作者:向井去来
ジャンル:俳論書(俳諧に関する本質や在り方といった理論や評論をまとめたもの)
内容:松尾芭蕉から見聞きしたこと、俳諧の心構えなど
あらすじ(あずき的解釈含む)
先師(芭蕉)
夜伽を代に句を作ってみなさい。
今日からは、私の死後の句だと考えなさい。
句を作るのに、一文字も私に相談してはいけないよ。
それぞれ句を作る…
先師(芭蕉)
丈草の句は、よくできている!
去来
(そうか…このような時は、テクニックい走ったり、句にぴったりのシチュエーションを探す余裕なんてないよな。
素直な思いを詠むのが良いのだということを、私はこの時に悟りました。)
それでは
・現代語訳
・品詞分解と語句解説
・本文の解説
を見ながら、詳しく内容を読んでいきましょう。
去来抄「うづくまる」現代語訳・解説
本文・品詞分解(語句解説)・現代語訳
うづくまる 薬缶のもとの 寒さかな 丈草
俳句:薬を煎じるやかんのそばでしゃがみ込んでいると、寒々とすることだよ。 丈草
語句 | 意味 |
うづくまる | ラ行四段活用動詞「うづくまる」(うずくまる、しゃがみ込む)連体形 |
薬缶 | 名詞(薬を煎じる道具、ヤカン) |
の | 格助詞 |
もと | 名詞(かたわら、そば) |
の | 格助詞 |
寒さ | 名詞 |
かな | 詠嘆の終助詞 |
丈草 | 名詞(人名。内藤丈草のこと。) |
季語: 寒さ
季節:冬
切れ字:かな

丈草は、尾張藩の武士の家に生まれるものの、幼い頃に母親を失い親の愛情を受けることができませんでした。
27歳で武士を捨てて、俗世間から離れて暮らします。
その後、奥の細道から戻った芭蕉に出会い、去来の紹介で、芭蕉のもとに入門しました。
丈草は芭蕉が亡くなった後、3年喪に服したそうです。
そのことからも、丈草が芭蕉を大切に思っていたことがわかります。

その芭蕉を失うかもしれないという状況で、寄り添い看病するのは、とてもつらいことだったでしょうね…
先師、難波の病床に、人々に夜伽の句をすすめて、
先生が、大阪の病の床で、(看病をしに来た)門人たちに夜伽(という題)の句を作ることを勧めて、
語句 | 意味 |
先師 | 名詞(ここでは松尾芭蕉を指す) |
難波 | 名詞(地名。現在の大阪市周辺を指す) |
の | 格助詞 |
病床 | 名詞(病の床トコ) |
に | 格助詞 |
人々 | 名詞 |
に | 格助詞 |
夜伽 | 名詞(一晩中そばに付き添うこと) |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
を | 格助詞 |
すすめ | マ行下二段活用動詞「勧む」(勧める、促す) |
て | 接続助詞 |

芭蕉は体調を崩し、大阪市の御堂筋沿いにある花屋仁左衛門(実際は仁右衛門だったらしい)が営む旅宿で、療養していました。
危険な状態であるという知らせを受けた弟子たちが、集まって来ていました。
その時に、弟子たちに「夜伽の句」を作ることを勧めたのです。

「夜伽の句」というのは、何ですか?

「夜伽」を題材にした句ということです。
「夜伽」とは、退屈しのぎのためなど一晩中寝ずに付き添うことを指します。

丈草は病床に伏せる芭蕉に付き添う様子を、「夜伽」として句を詠んだのですね。

師の様子に不安や悲しさを感じながら、重苦しい気持ちで看病をしている自分の気持ちをわかりやすく表現していると言えます。
「うづくまる」という表現から、「寒さかな」と言うだけで悲しみが伝わってきます。

「悲しい」と言わずに、悲しさを表現するところがうまいですね。
「今日よりわが死後の句なり。一字の相談を加ふるべからず。」となり。
「今日から(お前たちが作る句は)私の死後の句である。一字でも(私の)助言(で得た言葉)を加えて(句を作って)はならない。」と言ったのである。
語句 | 意味 |
今日 | 名詞 |
より | 格助詞(~から) |
わ | 代名詞(私) |
が | 格助詞 |
死後 | 名詞 |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
なり | 断定の助動詞「なり」終止形 |
一字 | 名詞 |
の | 格助詞 |
相談 | 名詞(助言を求める) |
を | 格助詞 |
加ふ | ハ行下二段活用動詞「加ふ」(加える)終止形 |
べから | 命令の助動詞「べし」未然形 |
ず | 打消の助動詞「ず」終止形 |
と | 格助詞 |
なり | 断定の助動詞「なり」終止形 |

この言葉には、芭蕉のどのような思いがあったのでしょうか?

芭蕉は、自分が亡き後の一門を心配していました。
自分がいるいないに関わらず、自分の力で俳句の道を切り開いてほしいという思いがあったのです。

そういえば、これまでに読んだお話でも、去来が芭蕉に「どう思いますか?」と聞いていましたね…
先生に、頼りすぎですね。

いつまでも正解を教えてあげるわけにもいかないし、これまでのやりとりから身につけていてほしいという気持ちもあったのでしょう。
しかし結果はどうだったのでしょうか?
続きを読んでいきましょう。
さまざまの吟ども多く侍りけど、ただこの一句のみ、「丈草、出来たり。」とのたまふ。
さまざまの句が多くございましたが、ただこの一句だけを、「丈草(の句は)、完成した。」とおっしゃる。
語句 | 意味 |
さまざま | 名詞 |
の | 格助詞 |
吟ども | 名詞(詩歌や俳句)+同類のものが複数あることを表す「ども」 |
多く | ク活用の形容詞「多し」連用形 |
侍り | ラ行変格活用動詞「侍り」連用形 【丁寧】書き手→読み手への敬意 |
けれ | 過去の助動詞「けり」已然形 |
ど | 逆接確定条件の接続助詞 |
ただ | 副詞 |
こ | 代名詞 |
の | 格助詞 |
一句 | 名詞 |
のみ | 限定の副助詞(~だけ) |
丈草 | 名詞 |
出来 | カ行上一段活用動詞「出来る」(完成する)連用形 |
たり | 完了の助動詞「たり」終止形 |
と | 格助詞 |
のたまふ | ハ行四段活用動詞「のたまふ」(おっしゃる)終止形 【尊敬】書き手→先師(芭蕉)への敬意 |

ここで他の弟子たちがどのような句を詠んだのか、見てみましょう。
引張りて ふとんぞ寒き 笑ひ声 惟然
おもひ寄る 夜伽もしたし 冬ごもり 正秀
鬮とりて 菜飯たかする 夜伽かな 木節
皆子なり みのむし寒く 鳴き尽くす 乙州
しかられて 次の間へ出る 寒さかな 支考
吹井より鶴を招かん時雨(しぐれ)かな 其角参考:『枯尾花』宝井其角編

実は芭蕉は、支考の句も評価していたのです。

どのような句だったのでしょうか?

「芭蕉に叱られ、しょんぼりして次の間(メインの部屋に接している小さめの部屋)へ出ていくと、夜の寒さが沁みるな」という意味です。
支考は芭蕉が体調を崩してからも、熱心に看病をしていました。
でも衝突してしまうこともあったのでしょうか、そのときの様子を詠んでいます。

これも丈草同様に、「寒さ」という表現に、現在の状況に対する「寂しさや悲しさ」が感じられます。
一緒にいられる時間も残り少ないだろうに、ケンカしてしまった…と後悔しているような思いもあるのかもしれませんね。

それに対して去来も含めて他の人は、「夜伽」の様子を表現しただけだったり、乙州の句は「先生がいなくなって私たち子はみんな泣いちゃうよ」と、大げさな表現がイマイチだったるようです。
かかる時は、かかる情こそ動かめ。
このような時は、このような感情こそ動くであろう。
語句 | 意味 |
かかる | ラ行変格活用動詞「かかり」(このようだ)連体形 |
時 | 名詞 |
は | 係助詞 |
かかる | ラ行変格活用動詞「かかり」連体形 |
情 | 名詞(感情) |
こそ | 強意の係助詞 ※結び:め |
動か | カ行四段活用動詞「動く」未然形 |
め | 推量の助動詞「む」已然形 【係り結び】 |

これは芭蕉が丈草の句だけを褒めたことを受けて、その句が褒められた理由を考えた場面ですね。
「かかる時」の「かかる情」とは具体的にどのようなことを指すのでしょうか?

「かかる時」は、師である芭蕉の病気が悪化し、別れの時が近づいているという寂しさや辛さを抱えながら看病をしている時を指すでしょう。
「かかる情」というのは、俳句を作る上でのテクニックに走ったり、「こう読み取ってほしい」という感情ではなく、師の身体を心配し、どうすることもできない辛さや悲しさと言った素直な感情のことを指しています。
興を催し、景を探るいとまあらじとは、この時こそ思ひ知り侍りける。
興趣をかきたて(るように工夫したり)、(句にふさわしい)情景を探し求める暇ないであろうと、この時は身に染みてわかりました。
語句 | 意味 |
興 | 名詞(興趣) |
を | 格助詞 |
催し | サ行四段活用動詞「催す」(感情を誘う、かき立てる)連用形 |
景 | 名詞(情景) |
を | 格助詞 |
探る | ラ行四段活用動詞「探る」(探し求める)連体形 |
いとま | 名詞(暇、ゆとり) |
あら | ラ行変格活用動詞「あり」未然形 |
じ | 打消推量の助動詞「じ」(~ないだろう)終止形 |
と | 格助詞 |
は | 係助詞 |
こ | 代名詞 |
の | 格助詞 |
時 | 名詞 |
こそ | 強意の係助詞 ※結び:ける |
思ひ知り | ラ行四段活用動詞「思ひ知る」(悟る、身に染みてわかる)連用形 |
侍り | ラ行変格活用動詞「侍り」連用形 【丁寧】書き手→読み手への敬意 |
ける | 過去の助動詞「けり」連体形 【係り結び】 |

ここでの「この時」は、これまでの一連の流れの全てを指していますね。
先生に「自分に相談しないで句を作れ」と言われ、作ってみたものの丈草の句だけが褒められたの時に、芭蕉の意図を感じ取ったのでしょう。
ポイント
丈草は、病床に伏せる芭蕉に付き添う様子を「夜伽」とし、その時の自分の気持ちをストレートに表現している。
芭蕉の為の薬を煎じているヤカンのそばで「うづくまる」という表現から、「寒さかな」と言うだけで悲しみが伝わってくるようだ。
芭蕉は、自分が亡き後の一門を心配していた。
→自分がいるいないに関わらず、自分の力で俳句の道を切り開いてほしいという思いあった。
「かかる時」は、師である芭蕉の病気が悪化し、別れの時が近づいているという寂しさや辛さを抱えながら看病をしている時を指す。
「かかる情」というのは、俳句を作る上でのテクニックに走ったり、「こう読み取ってほしい」という感情ではなく、師の身体を心配し、どうすることもできない辛さや悲しさと言った素直な感情のことを指している。
師が重い病気の状態で、重苦しい思いを抱えて看病している時には、技巧に走らずにその場にふさわしい感情を素直に詠むのが良いと思い知った。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は向井去来の『去来抄』より、「うづくまる」について解説しました。
去来の相談に応えてきた芭蕉ですが、自分の命が尽きようとしている状況で弟子たちに「相談しないで句を作りなさい」と課題を与えます。
その中で、丈草の句だけを褒めました。
去来も丈草の句の良さを認め、俳句を作る上でどのような姿勢が大切であるかを語っていました。
芭蕉の期待に、弟子の全員は応えられなかったことになります。
芭蕉はもどかしさや、これからの芭蕉一門に対して不安を感じたかもしれませんね。
皆さんはどう思いましたか?
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