今回も『去来抄』について、読んでいきます。
「岩鼻や」で始まる去来の句について、先師(松尾芭蕉)と去来(向井去来)のやりとりです。
読み取っていきましょう。
去来抄とは?
成立:江戸時代
作者:向井去来
ジャンル:俳論書(俳諧に関する本質や在り方といった理論や評論をまとめたもの)
内容:松尾芭蕉から見聞きしたこと、俳諧の心構えなど
あらすじ(あずき的解釈含む)
去来
先生、私が作った「岩鼻や ここにもひとり 月の客」という句についてなんですけど…
酒堂が「月の客」じゃなくて、「月の猿」の方が優れてるって言うんです。
先生は、いかがですか?
先師(芭蕉)
「猿」とは何事だ!
去来よ、お前はこの句を、どういう意図で作ったんだね?
去来
私は明るく澄んだ月に誘われて、山野を句を作っては口ずさみながら歩いていました。
そんな時に岩の先端で、自分以外に月を眺めているもう一人の風流人を見つけたので、その様子を詠みました。
先師(芭蕉)
そのもう一人のことを詠むんじゃなくてさ、「ここにも一人で月を見ている私がいますよ」と月に名乗り出る感じにしたら、かなり風流度が増すと思うぞ。
ここは誰かのことを詠む「他称の句」ではなくて、自分のことを詠む「自称の句」にするのがいい。
この句は私も大切にして、『笈の小文』に書き入れたぞ。
去来
(確かに先生がおっしゃるように「自称の句」とすると、自分が最初に作った句よりも十倍素晴らしい句になる気がする。
まったく作者である自分が、この句の真意がわかってないんだもんなあ…
先生は本当にすごいや。)
ということで、内容をざっくりと理解したところで、
・現代語訳
・品詞分解と語句解説
・本文の解説
を見ながら、詳しく内容を読んでいきましょう。
去来抄「岩鼻や」現代語訳・解説
本文・品詞分解(語句解説)・現代語訳
岩鼻や ここにも ひとり 月の客 去来
俳句:岩の先端にも一人、自分と同じように月見をしている人がいることよ
語句 | 意味 |
岩鼻 | 名詞(岩の先端) |
や | 詠嘆の間投助詞(~だなあ、~よ) |
ここ | 代名詞 |
に | 格助詞 |
も | 係助詞 |
ひとり | 名詞 |
月 | 名詞 |
の | 格助詞 |
客 | 名詞 ※月の客(月見をしている人) |
去来 | 名詞(人名。向井去来のこと) |
季語:月の客
季節:秋
切れ字:や
先師上洛の時、去来言はく、「酒堂はこの句を『月の猿』と申し侍れど、
先生が京都へ行かれた時、私が言うことには、「酒堂はこの句(の「月の客」の部分)を『月の猿』と(したほうがよいと)申しておりますけれども、
語句 | 意味 |
先師 | 名詞(先生。ここでは松尾芭蕉のことを指す) |
上洛 | 名詞(京都へ行くこと) |
の | 格助詞 |
時、 | 名詞 |
去来 | 名詞(ここでは話し手が去来なので、「私」と訳) |
言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
く、 | 接尾語 |
「酒堂 | 名詞(人名。浜田酒堂。芭蕉の門人の一人) |
は | 係助詞 |
こ | 代名詞 |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 ※この句…「岩鼻や~」の句を指すが、ここではその中の「月の客」について述べている |
を | 格助詞 |
『月 | 名詞 |
の | 格助詞 |
猿』 | 名詞 |
と | 格助詞 |
申し | サ行四段活用動詞「申す」(申し上げる)連用形 【謙譲】去来→先師(芭蕉)に対する敬意 |
侍れ | ラ行変格活用動詞「侍る」(おります、ございます)已然形 【丁寧】去来→先師(芭蕉)に対する敬意 |
ど、 | 逆接確定条件の接続助詞(~けれども) |
予は『客』勝りなんと申す。いかが侍るや。」
私は『客』(のほう)が優れているだろうと言います。いかがでございましょうか。」
語句 | 意味 |
予 | 名詞(私) |
は | 係助詞 |
『客』 | 名詞 |
まさり | ラ行四段活用動詞「まさる」(優れている)連用形 |
な | 強意の助動詞「ぬ」未然形 |
ん | 推量の助動詞「ん」終止形 |
と | 格助詞 |
申す。 | サ行四段活用動詞「申す」(言います)終止形 【丁寧】去来→先師(芭蕉)に対する敬意 |
いかが | 副詞(どのようであるか) |
侍る | ラ行変格活用動詞「侍り」連体形 【丁寧】去来→先師(芭蕉)に対する敬意 |
や。」 | 疑問の終助詞 |

酒堂は、努力家だったそうです。

「行く春や」に登場した尚白みたいに、師匠を批判するような門人ではないようですね。

なぜ酒堂は、「猿」がいいと言ったのでしょうか?

漢詩や絵画においては、古くから「月」と「猿」は有名な組み合わせでした。
特に「猿の声」は、もの悲しさを表現するのに用いられました。
酒堂は「月」だけでなく、「ひとり」という表現からも「猿」の方がいいと思ったのではないでしょうか。

「猿」という表現を用いることによって、漢詩などに対する豊富な知識を持っていることもアピールしつつ、その場に応じた良い句になると考えたのですね。
先師言はく、「『猿』とは何ごとぞ。汝、この句をいかに思ひて作せるや。」
先生が言うことには、「『猿』とはどうしたことか。お前は、この句をどう考えて作ったのか。」
語句 | 意味 |
先師 | 名詞 |
言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
く、 | 接尾語 |
「『猿』 | 名詞 |
と | 格助詞 |
は | 係助詞 |
何ごと | 名詞(どうしたこと) |
ぞ。 | 係助詞(~か ※問いただす) |
汝、 | 代名詞(お前) |
こ | 代名詞 |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
を | 格助詞 |
いかに | ナリ活用の形容動詞「いかなり」(どうだ)連用形 |
思ひ | ハ行四段活用動詞「思ふ」(考える)連用形 |
て | 接続助詞 |
作せ | サ行変格活用動詞「作す」(つくる)未然形 |
る | 完了の助動詞「り」連体形 |
や。」 | 疑問の終助詞 |

なぜ芭蕉は、「何ごとぞ」と言っているのでしょうか?

芭蕉は酒堂の案を、「ありえない」と否定していますね。
「漢詩のことよく知ってますよ」「月と言ったらこれでしょ?」と、安易なテクニックに走ることを良しとしていないのでしょう。
去来言はく、「明月に乗じ 山野 吟歩し侍るに、岩頭また一人の騒客を見つけたる。」と申す。
去来(私)が言うことには、「明月に(誘われて)おもむくままに山野を句を作って口ずさみながら歩いておりますと、岩の先端に(自分とは別に)一人の風流人を見つけた(という様子を詠みました)」と申し上げる。
語句 | 意味 |
去来 | 名詞 |
言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
く、 | 接尾語 |
「明月 | 名詞(明るく澄みわたった月) |
に | 格助詞 |
乗じ | サ行変格活用動詞「乗ず」(乗じる、おもむくままにする)連用形 |
山野 | 名詞(山と野原) |
吟歩し | サ行変格活用動詞「吟歩す」(句を作って口ずさみながら歩く)連用形 |
侍る | ラ行変格活用動詞「侍り」連体形 【丁寧】去来→先師(芭蕉)への敬意 |
に、 | 格助詞 |
岩頭 | 名詞 |
また | 副詞(それとは別に) |
一人 | 名詞 |
の | 格助詞 |
騒客 | 名詞(風流人) |
を | 格助詞 |
見つけ | カ行下二段活用動詞「見つく」(連用形 |
たる。」 | 完了の助動詞「たり」連体形 |
と | 格助詞 |
申す。 | サ行四段活用動詞「申す」終止形 【謙譲】去来→先師(芭蕉)への敬意 |
先師言はく、「『ここにもひとり月の客』と、己と名のり出でたらんこそ、いくばくの風流ならん。
先生が言うことには、「『ここにも一人 月を見る人としての私がおります』と、自分から(月に)名乗り出たようにしたならば、どれほどの風流であるだろう。
語句 | 意味 |
先師 | 名詞 |
言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
く、 | 接尾語 |
「『ここ | 代名詞 |
に | 格助詞 |
も | 係助詞 |
ひとり | 名詞 |
月 | 名詞 |
の | 格助詞 |
客』 | 名詞 |
と、 | 格助詞 |
己と | 副詞(自分から) |
名のり出で | ダ行下二段活用動詞「名のり出づ」(名乗り出る)連用形 |
たら | 完了の助動詞「たり」未然形 |
ん | 婉曲の助動詞「ん」連体形 |
こそ、 | 強意の係助詞 ※結び:ん |
いくばく | 副詞(どれほど) |
の | 格助詞 |
風流 | 名詞 |
なら | 断定の助動詞「なり」未然形 |
ん。 | 推量の助動詞「ん」連体形 【係り結び】 |
ただ自称の句となすべし。
ただ自分から名乗る(という気持ちを表すため)の句にするのがよい。
語句 | 意味 |
ただ | 副詞 |
自称 | 名詞(自分から名乗ること) |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
と | 格助詞 |
なす | サ行四段活用動詞「なす」(~にする)終止形 |
べし。 | 適当の助動詞「べし」(~するのがよい)終止形 |

師匠である芭蕉は、句は変えずに、句が表す意味を変えたのですね。

そうですね。
三人の意見の違いは、月を見ている人(句の主体となる人)でした。

酒堂…猿
去来…自分とは別の風流人
芭蕉…自分(作者自身)
でしたね。
この句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける。」となん。
この句は私も大切にして、『笈の小文』に書き入れたのだ。」ということだ。
語句 | 意味 |
こ | 代名詞 |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
は | 係助詞 |
我 | 名詞 |
も | 係助詞 |
珍重し | サ行変格活用動詞「珍重す」(連用形 |
て、 | 接続助詞 |
『笈の小文』 | 名詞(松尾芭蕉の俳諧紀行)※しかしここでの『笈の小文』はそれとは違うとのこと |
に | 格助詞 |
書き入れ | ラ行下二段活用動詞「書き入る」(書き入れる、描き込む)連用形 |
ける。」 | 過去の助動詞「けり」連体形 ※連体形止めになっている ※ここでは「~のだ」と訳 |
と | 格助詞 |
なん。 | 強意の係助詞 ※結びの省略:「のたまふ」など |
(のたまふ) | ハ行四段活用動詞「のたまふ」連体形【係り結び】 |
退いて考ふるに、自称の句となして見れば、狂者のさまも浮かみて、初めの句の趣向に勝れること、十倍せり。
先生と別れてから考えると、自称の句として(この句を)見ると、風流人の様子も思い浮かんで、最初の句の味わいに勝っていることは、十倍になっている。
語句 | 意味 |
退い | カ行四段活用動詞「退く」(目上の人の前を離れる)連用形「退き」のイ音便 |
て | 接続助詞 |
考ふる | ハ行下二段活用動詞「考ふ」(考える)連体形 |
に、 | 接続助詞 |
自称 | 名詞 |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
と | 格助詞 |
なし | サ行四段活用動詞「なす」連用形 |
て | 接続助詞 |
見れ | マ行上一段活用動詞「見る」已然形 |
ば、 | 接続助詞 |
狂者 | 名詞(風雅にふける人、風流人) |
の | 格助詞 |
さま | 名詞(様子) |
も | 係助詞 |
浮かみ | マ行四段活用動詞「浮かむ」(思い浮かぶ)連用形 |
て、 | 接続助詞 |
初め | 名詞 |
の | 格助詞 |
句 | 名詞 |
の | 格助詞 |
趣向 | 名詞(味わい) |
に | 格助詞 |
勝れ | ラ行四段活用動詞「勝る」(勝る、優れる)已然形 |
る | 存続の助動詞「り」連体形 |
こと、 | 名詞 |
十倍せ | サ行変格活用動詞「十倍す」(十倍にする)未然形 |
り。 | 存続の助動詞「り」終止形 |

何を言っているのでしょうか?

まわりくどくて、少し理解しにくい文章ですね。
去来は、先生である芭蕉と別れた後に、改めに言われてことを考えてみたのです。
「私がここにいますよ」と、月に自ら名乗り出たことを表す「自称の句」とすると、月を愛でる風流人としての自分も思い浮かべることができて、最初に自分が作った「私の他にも月を愛でる風流人がいるよ」という句の十倍良いわ!(さすが師匠!)と思ったということです。
まことに作者その心を知らざりけり。
まったく作者自身が句が持つ本当の意味を知らないことであるよ。
語句 | 意味 |
まことに | 副詞(まったく) |
作者 | 名詞(ここでは「岩鼻や~」の句を作った去来自身を指す) |
そ | 代名詞 |
の | 格助詞 |
心 | 名詞 |
を | 格助詞 |
知ら | ラ行四段活用動詞「知る」未然形 |
ざり | 打消の助動詞「ず」連用形 |
けり。 | 詠嘆の助動詞「けり」終止形 |

「その心」とは何を表しているのでしょうか?

これは「岩鼻や~」の句が持つ、本当の意味を指します。
ポイント
漢詩や絵画において、古くから「月」と「猿」は有名な組み合わせ
→広い知識やそれを活かす感覚を活かして、その場に応じた良い句になると考えたから。
表にまとめると、以下の通りです。
表現 | 月を見ているのは? | 句の特徴 | |
酒堂 | 月の猿 | 猿 | 他称の句 |
去来 | 月の客 | 自分以外の風流人 | 他称の句 |
芭蕉 | 月の客 | 自分(作者)自身 | 自称の句 |
作者自身の風流心が、ポイントだとしている。
- 酒堂の案 … 「何ごとぞ」と否定。
→「漢詩のことよく知ってますよ」「月と言ったらこれでしょ?」と、安易なテクニックに走っているから。
→月の美しさに対する作者の風流心が、全く感じられない句になると思っている。
- 去来の創作意図 … 「月の客」という表現は悪くない
→「自分の他にも月を愛でる風流人がいる」と他者にスポットを当てることで、作者の風流心が薄れてしまうと思っている。
これらのことから、「風流人である私がいますよ」と月に名乗り出るという、「自称の句」とするのがよいと言っているのです。
自分以外の存在を表した「他称の句」に対して、芭蕉が言う「自称の句」とすることで、風流人としての自分の姿が思い浮かび、十倍良い句になると思った。
作った本人以上の解釈をするとは、やはり先師(芭蕉)は素晴らしい人だとも思っている。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は向井去来の『去来抄』より、「岩鼻や」について解説しました。
去来が作った句について、酒堂が「客」を「猿」にした方が良くなるという案を受けて、芭蕉に意見を求めたお話でした。
酒堂の案の理由、去来の創作意図、芭蕉の解釈はしっかりと理解できたでしょうか?
それを受けて去来が思ったことは、「やはり俺の師匠はすごい!」ということなのでしょう。
それと同時に、解釈は違えど「岩鼻や」の句が、芭蕉の作品に書き込まれたことをさりげなく自慢しているようにも感じました。
皆さんは、どう思いましたか?
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