史記「澠池之会(澠池の会)①秦趙を伐ちて~」読み仮名付き書き下し文・現代語訳・解説

漢文

※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

史記より「澠池之会(澠池めんちの会)①秦趙を伐ちて~」について解説をしていきます。

今回のお話は、「完璧」のあとの話になります。

「完璧」の内容は…
「和氏の璧という趙が手に入れた珍しい宝と、秦の15の都市を交換しよう」という秦王からの申し出を受けた趙王。
「だまされるかもしれない」という趙王の不安が的中してしまったものの、藺相如の冷静かつ豪胆さによって無事に和氏の璧を持ち帰ることができた。
処刑も覚悟した藺相如だったが、秦王は藺相如を優れた人物として帰らせた。

 

その後、秦は何度も趙を攻め、和解という名目で趙王を澠池に呼び出した、というのが今回の内容となります。

この記事では

・白文
・書き下し文(読み仮名付き)
・語句の意味/解説
・現代語訳

以上の内容を順番にお話していきます。

「澠池之会(澠池の会)①秦趙を伐ちて~」書き下し文・現代語訳・解説

白文

①秦伐趙、抜石城。
②明年、復攻趙殺二万人。
③秦王使使者告趙王、
④欲与王為好、会於西河外澠池。
⑤趙王畏秦、欲毋行。
⑥廉頗・藺相如計曰、
⑦「王不行、示趙弱且怯也。」
⑧趙王遂行。
⑨相如従。
⑩廉頗送至境、与王訣曰、
⑪「王行、度道里、会遇之礼畢還、不過三十日。
⑫三十日不還、則請立太子為王、以絶秦望。」
⑬王許之。
⑭遂与秦王会澠池。

書き下し文(読み仮名付き)・語句解説・現代語訳

しんちょうちて、石城せきじょうく。

語句 意味
国名(強大な力を持つ国)
国名
伐ちて 攻める
石城 現在の河南省安陽市の南西に位置していた県
抜く 攻め落とす

【訳】秦は趙を攻め、石城を攻め落とした。

 

明年みょうねんちょうめて二万人にまんにんころす。

語句 意味
明年 翌年
復た 再び

【訳】翌年、再び趙を攻めて二万人を殺した。

 

秦王しんおう使者ししゃをして趙王ちょうおうげしめて、

語句 意味
秦王 秦の国の王。当時は昭王(昭襄王)
~をして…しめて ~に…させて
趙王 趙の国の王。当時は恵文王
告げ 伝える。告げる。

【訳】秦王が使者に趙王に伝えさせたことには、

 

おうよしみし、西河せいかがい澠池めんちかいせんとほっす。

語句 意味
趙王を指す
好を為し 好…仲が良い、親密である→好を為す…親睦を深める
西河の外 黄河中流の南を指す
澠池 地名。現在の河南省山門峡市にある。
会せ 会合する
~んと欲す 【願望】~したい

【訳】趙王と親睦を深め、西河の外の澠池で会合したい。

 

趙王ちょうおうしんおそれ、くことからんとほっす。

語句 意味
畏れ 恐れる
【否定】~ない

【訳】趙王は秦を恐れて、行きたがらなかった。

 

廉頗れんぱ藺相如りんしょうじょはかりてく、

語句 意味
廉頗 人名(趙の武将)
藺相如 人名(趙の政治家。趙王の家臣。)
計りて 相談して

【訳】廉頗と藺相如が取り計らって言うことには、

 

⑦「おうかずんば、ちょうよわくしてきょうなるをしめすなり。」と。

語句 意味
ずんば 【打消の順接仮定条件】もし~でないならば
且つ その上
怯なる 臆病なこと

【訳】「趙王様がもし(澠池へ)行かなければ、趙が弱くその上臆病であることを示すことになります。」と。

 

趙王ちょうおうついく。

語句 意味
遂に 【順接】そうして

【訳】趙王はそうして(澠池へ)行くことにした。

 

相如しょうじょしたが

語句 意味
相如 藺相如のこと
従ふ お供する

【訳】藺相如がお供した。

 

廉頗れんぱおくりてきょういたり、おうけっしてく、

語句 意味
国境
訣して 約束して(別れに際して)

【訳】廉頗は(趙王たちを)送って国境に到着し、王と別れに際して約束して言うことには、

 

⑪「おうぎょう道里どうりはかれば、会遇かいぐうれいりてかえるに、三十日さんじゅうにちぎざらん。

語句 意味
趙王のこと
道里 道のり
度れば 計算する
会遇の礼 会見の儀礼
畢はりて 終わって
還るに 帰ると
過ぎ 経過する。過ぎる。
ざらん 打消の助動詞「ず」未然形+推量の助動詞「む」(~ないだろう)

【訳】「趙王様の旅は、道のりを計算すると、会見の儀礼が終わって帰ると、三十日を過ぎることはないでしょう。

 

三十日さんじゅうにちにしてかえらずんば、すなわ太子たいしてておうし、もっしんのぞみをたん。」と。

語句 意味
~んば則… ~ならば、その時には…
請ふ~ 【自分の願望】どうか~させてください
太子 恵文王の跡継ぎとなる男子
以て それによって
秦の望み 秦の野望

【訳】三十日が経って(趙王が)帰らなければ、その時には太子を即位させて(趙の国の)王とし、それによって秦の望みを絶たせてください。」と。

 

廉頗は澠池へは行かず、国と太子を守ることになりました。

廉頗は、何を言っているのでしょうか?

これには、過去の出来事が関係しています。

以前、秦は楚の国の王と会合した際に、楚王を人質にしたのです。
それによって楚の国は大変混乱しました。
そのことを踏まえて廉頗は「もしもの時は私が新しい王を立てて、秦を倒します!いいですよね!?」と趙王に進言したのでした。

 

おうこれゆるす。

【訳】趙王はこれ(廉頗の進言)を承諾した。

 

つい秦王しんおう澠池めんちかいす。

語句 意味
遂に 【順接】そうして
会す 会う

【訳】そうして(趙王は)秦王と澠池で会った。

つづき(秦王飲酒酣にして~)

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は史記より「澠池之会①秦趙を伐ちて~」を解説しました。

秦王からの酒宴の誘いに尻込みする趙王。
廉頗と藺相如は、国の為に考えて趙王に進言しました。
藺相如が趙王と共に澠池へ向かい、廉頗は趙に残ってもしもの事態に備えるということになりました。

この記事を書いた人
あずき

40代、一児の母
通信制高校の国語教員

生徒が「呪文にしか見えない」という古文・漢文に、少しでも興味を持ってもらえたらと作品についてとことん調べています。

自分の生徒には直接伝えられるけど、
聞きたくても聞けない…などと困っている方にも届けたくて、ブログを始めました。

≫詳しいプロフィールはこちら

あずきをフォローする
漢文
あずきをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました