今回は岑参の「磧中の作」を解説します。磧中とは砂漠の中という意味です。見渡す限り、砂だけの世界。そんな極限の砂漠に、作者は立っていました。今回は岑参の『磧中の作』を解説します。壮大な砂漠の景色と、満月を見上げる作者の切ない本音。言葉の裏に隠された「孤独の正体」に迫りましょう。
この詩が読まれた背景を解説してから、実際に本文を読んでいきます。
内容(直訳)だけを知りたい方は、「白文・書き下し文(読み仮名付き)・現代語訳・語句解説」の項目からご覧ください。
岑参 「磧中作(磧中の作)」現代語訳・解説

この詩が読まれた背景
具体的に内容を読む前に、この詩が読まれた背景について押さえておきましょう。
715年生まれ。盛唐の時代の詩人。
なぜ作者はこんな「世界の果て」にいたのか?
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「辺塞詩人」としての顔: 岑参は、盛唐の時代に活躍した「辺塞詩人」の代表格です。辺塞詩とは、当時の国境付近(現在の中国西域など)の厳しい自然や、戦場の様子を詠んだ詩のことを言います。
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根拠となる経歴: 岑参は、単なる旅行者ではありません。安西節度使(西域を守る軍の司令部)の幕僚として、実際に軍務に就くために砂漠を渡っています。つまり、この詩は「想像」ではなく「実体験」に基づいているのです。
舞台は「一度入ったら出られない」タクラマカン砂漠
作者がいた場所は、タクラマカン砂漠だと言われています。それはいったい、どんな場所だったのでしょうか?
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「死の海」の異名: 彼が従軍した西域(現在の新疆ウイグル自治区付近)には、広大なタクラマカン砂漠が横たわっています。ウイグル語で「入ったら出られない場所」を意味するとも言われ、現代でも「死の海」と恐れられる場所です。
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当時の状況: 1000年以上前、スマホもGPSもない時代です。遮るもののない平らな砂(平沙)が地平線まで続き、水もなければ、道しるべとなる人家も一切ない。この「絶人煙(人煙を絶つ)」という言葉には、「もしここで道に迷えば、誰にも助けてもらえず死ぬしかない」という圧倒的なスケールの恐怖が隠されています。
では、これらを踏まえて本文を見ていきましょう。
白文・書き下し文(読み仮名付き)・現代語訳・語句解説
① 走馬西来欲到天
馬を走らせて西来 天に到らんと欲す
| 西来 | 西へ向かうこと |
| 天 | 天空 |
| 到ら |
ラ行四段活用動詞「到る」(到着する、たどり着く)未然形
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| ~んと欲す | ~しそうだ |
【訳】 馬を走らせて西へ向かうと、天にたどり着けそうだ

これは、単に「西へ行った」という報告ではありません。当時の西域(今の新疆ウイグル自治区など)は、標高の高い山脈や果てしない平原が続く場所。馬を飛ばして進むうち、地平線と空が混ざり合い、「このまま走り続けたら、空の端っこまで行けてしまうのではないか」という、この景色の壮大さが表現されています。
② 辞家見月両回円
家を辞して月の両回 円なるを見る
| 家を辞す | 家を出る |
| 両回 | 二回 |
| 円なる |
ナリ活用の形容動詞「円なり」(丸い)連体形
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【訳】家を出てから月が二回丸くなる(=満月になる)のを見た

この句のポイントは「月の両回 円なるを見る」です。この部分の表す意味と効果は、以下の通りです。
太陰暦(旧暦)では月は約30日で満ち欠けする。つまり、満月を二回見たということは、「家を出てから約二ヶ月」が経過したことを意味する。
距離の視覚化
毎日馬を走らせ、満月を二回も見るほどの長い時間をかけて、来たということ。それほど故郷から遠く離れてしまったという、「絶望的なまでの距離感」を際立たせる効果がある。
「円(まどか)」の対比
漢詩において、丸い満月は「家族の団らん」の象徴。空の月はあんなに完璧な「円」なのに、自分は家族と離れて砂漠にいる。月の完璧な形が、作者の孤独をいっそう浮き彫りにするという、皮肉で切ない効果がある。

「家を出てから二か月が経った」というよりも、様々な感情が込められている気がしますね。
③ 今夜不知何処宿
今夜は知らず 何れの処にか宿せん
| 知らず | わからない |
| 何れの処にか~ | いったいどこに~か |
| 宿せ |
サ行変格活用動詞「宿す」(泊まる)未然形
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| ん | 推量or意志の助動詞「ん」終止形 |
【訳】今夜はわからない、いったいどこに泊まるのだろうか

第一句での「天まで行けそうだ!」という勢いは、日が暮れるにつれて「現実の不安」へと変わります。宿場町があるわけでもなく、ただ暗くなっていく砂漠。

「どこで寝ればいいのかさえ分からない」ということを言っているのですね。この言葉には、心細さが感じられます。
④ 平沙万里絶人煙
平沙万里 人煙を絶つ
| 平沙 |
なだらかで広大な砂漠 ※ここでは中国にあるタクラマカン砂漠を指す
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| 万里 | 非常に遠くまで広がっていること |
| 人煙 |
人が住む家から立ち上る炊事の煙のこと。転じて、人の住んでいる気配、人家そのものを意味する
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| 絶つ |
タ行四段活用動詞「絶つ」(絶える)終止形
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【訳】広大な砂漠が遠くまで広がっていて、人家の気配は完全に途絶えている

視線を上げても、遠くを見渡しても、晩ごはんの支度をする煙(=人の営みの温かさ)がどこにも見えないということですね。とても寂しい状況であることが、伝わります。

この絶望的な静寂の中で、ぽつんと一人で立つ作者。「二ヶ月かけて歩いてきた結果、たどり着いたのは、人の気配が一切しない無の世界だった」わけです。
①「天(景色の壮大さ)」
②「月(時間の経過と孤独)」
③「足元(現実への不安)」
④「無(孤独と寂しさ)」へと視線が移り変わっています。
詩の形式・押韻
この詩の形式は、七言絶句です。


押韻は、第一句末の「天 ten」、第二句末の「円 en」と第四句末「煙 en」になります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は、岑参 の「磧中の作」を解説しました。
ただの「砂漠の景色を読んだ詩」として覚えるだけでは、もったいない作品です。1200年以上も前のスマホも地図もない世界で、満ち欠けする月だけを頼りに歩き続ける作者の気持ちを、想像できたでしょうか?
天まで届きそうなほど広大な砂漠。二ヶ月という長い旅路の中で、今夜の寝床すら不安になり、料理の煙ひとつ見えない状況で感じる孤独や寂しさ…
それらが、巧みに表現された作品でした。


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