三国志「曹公戦於白馬(曹公白馬に戦ふ)」現代語訳・解説

漢文

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今回は三国志より「曹公戦於白馬(曹公そうこう白馬はくばたたか)」について解説をしていきます。

 

 

この記事では

・白文

・書き下し文(読み仮名付き)

・語句の意味/解説

・現代語訳

以上の内容を順番にお話していきます。

「曹公白馬に戦ふ」書き下し文・現代語訳・解説

白文

①紹引兵至黎陽、将渡河。

②荀攸説公曰、「今兵少不敵。

③分其勢乃可。

④公到延津、若将渡兵向其後者、紹必西応之。

⑤然後軽兵襲白馬、掩其不備、顔良可禽也。」

⑥公従之。

⑦紹聞兵渡、即分兵西応之。

⑧公乃引軍兼行趣白馬。

⑨未至十余里、良大驚、来逆戦。

⑩使張遼・関羽前登、撃破斬良。

⑪遂解白馬囲。

書き下し文(読み仮名付き)・語句解説・現代語訳

しょうへい黎陽れいよういたり、まさわたらんとす。

語句 意味/解説
袁紹(名門の出身。河北を支配している。)
引き 率いて
将に~す 【再読文字】今にも~しようとする。
黄河のこと

【訳】袁紹が軍を率いて黎陽に到着し、今にも黄河を渡ろうとした。

 

 

荀攸じゅんゆうこうきてく、「いまへいすくなくてきせず。

語句 意味/解説
荀攸 曹操の軍師。優れた作戦を立てる人物。
曹操を指す
説きて 意見を述べて
敵せず 敵にかなわない

【訳】荀攸が曹操に意見を述べて言うことには、「今(わが)軍は少なくて敵にかないません。

 

このとき兵の数は曹操軍が1に対して袁紹軍は10と大差であったと言われています。

また立地も袁紹が恵まれていたそうです。

 

曹操軍はかなり不利な状況だったんですね。

 

せいわかかたばすなわなり。

語句 意味/解説
其の勢 袁紹の軍勢
分かたば 分散すれば
乃ち そこで
可なり よろしい

【訳】袁紹の軍勢を分散すればそこで(戦って)よろしい。

 

こう延津えんしんいたり、まさへいわたらせんとするもののごとくせば、しょうかなら西にししてこれおうぜん。

語句 意味/解説
延津 地名
其の後に向かはんとする者 黄河を渡ろうとする袁紹軍の背後を襲おうとする
ごとくせば ~のようにすれば
西して 西に進んで
延津にやってきて背後を襲おうとする曹操軍
応ぜん 対応するでしょう

【訳】曹操様が延津まで行き、今にも軍を渡らせようとし、あたかも袁紹軍の背後を襲おうとするかのように見せれば、袁紹は必ず西に進んでこれに対応するでしょう。

 

しかのち軽兵けいへいもて白馬はくばおそ不備ふびおおば、顔良がんりょうをばとりこにすべきなり。」

語句 意味/解説
然る後 その後で
軽兵 軽装の騎兵
其の不備 白馬の防備の不備
掩はば 不意に襲えば
顔良 袁紹軍の武将
生け捕りにする
すべきなり 【可能】することができる

【訳】その後で軽装の騎兵で白馬を(守っている袁紹軍を)襲い、防備の不備を不意に襲えば、顔良を生け捕りにすることができる。」と。

 

延津で対応したことで、袁紹軍の白馬の防備が手薄になった隙をつくということですね。

 

こうこれしたが

語句 意味/解説
荀攸の立てた作戦

【訳】曹操はこれに従った。

 

しょうへいわたるをき、すなわへいかちて西にししてこれおうぜしむ。

語句 意味/解説
曹操軍を指す
即ち すぐに
曹操軍が袁紹軍の背後を襲おうとする動き
しむ 【使役】~させる

【訳】袁紹は曹操軍が黄河を渡ったと聞いて、すぐに軍を分散して西に進みこれに対応させた。

 

 

こうすなわぐん兼行けんこうして白馬はくばおもむく。

語句 意味/解説
乃ち そこで
引き 引き上げて
兼行して 昼も夜も急いで行く
趣く 向かった

【訳】曹操はそこで軍を(延津から)引き上げて、昼も夜も急いで行き白馬に向かった。

 

いまいたらざること十余里じゅうよりりょうおおいにおどろき、たりて激戦げきせんす。

語句 意味/解説
未だ~ざる 【否定/再読文字】まだ~しない
十余里 約4km
顔良を指す
激戦す 迎え撃った

【訳】まだ(白馬まで)到着しない十余里ほどで、顔良は大変驚いて、やって来て(曹操軍を)迎え撃った。

 

張遼ちょうりょう関羽かんうをして前登せんとうせしめ、撃破げきはしてりょうる。

語句 意味/解説
張遼 曹操の部下
関羽 劉備の部下。訳あって一時的に曹操に仕えている。
前登 先鋒とする
斬る 討ち取った

【訳】張遼と関羽に先鋒させて、撃ち破って顔良を討ち取った。

 

つい白馬はくばかこく。

語句 意味/解説
遂に そしてそのまま
囲い 包囲
解く 解放した

【訳】そしてそのまま白馬の包囲を解放した。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

不利な状況でありながら勝利を手にした曹操軍。
条件が悪かった曹操軍は、全員が団結した状態でした。
優れた作戦を立てた荀攸の言うことを聞入れ、戦略も統一されていきました。

それに対して袁紹軍は圧倒的に有利だったことによる油断や、部下たちの権力争いがあり団結してるとは言えませんでした。

明暗を分けたのは指導者としての力の差だったようです。

 

↓↓↓曹操に関する別のお話 ※「武帝」とは曹操のこと

 

この記事を書いた人
あずき

40代、一児の母
通信制高校の国語教員

生徒が「呪文にしか見えない」という古文・漢文に、少しでも興味を持ってもらえたらと作品についてとことん調べています。

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