『去来抄』を三回に分けて読んでいきます。
去来抄とは?
成立:江戸時代
作者:向井去来
ジャンル:俳論書(俳諧に関する本質や在り方といった理論や評論をまとめたもの)
内容:松尾芭蕉から見聞きしたこと、俳諧の心構えなど
今回の話に登場する「先師」とは、松尾芭蕉のことを指します。
あらすじ(あずき的解釈含む)
芭蕉:尚白が私の「行く春や 近江の人と 惜しみけり」っていう句について、非難してきたんだよ。
「近江じゃなくて丹波でもよくね?」とか「行く春じゃなくて行く年でもいけるんじゃね?」とか、言いがかりをつけてきてさ。
去来さ、お前はどう思う?
去来:尚白は、見当違いのことを言っていますよ!
琵琶湖の水が霞んでいる情景が、春を惜しむのにぴったりなわけですし。
何より、先生が実際に近江の琵琶湖での風景を見た上で、感じたことを詠んでいるんですから。「行く春」で「近江」であること以外、考えれらません!
芭蕉:その通りだ。
古くから歌人たちにも、詠まれてきたし、近江の春は、京の都に負けないくらい愛されているんだ。
去来:今の先生の一言、刺さりました~!
先生が年末に近江にいらっしゃったら、この感動は起きなかったですよ。
逆に春の終わりに丹波にいらっしゃったところで、こんな感情にもならなかったことでしょう。
その土地や風景、季節にあってこそ感動が生まれるんですよね~。
やっぱりこの句のどれも、他の言葉に置き換えるなんて、あり得ないです。
芭蕉:去来よ、お前は俳諧について深い理解を持ち、すばらしい解釈ができる男だ!
一緒に俳諧について語るに、ふさわしい者だ!
去来:(先生、めっちゃ喜んでる!俺、先生への理解すごいでしょ?)

それでは
・現代語訳
・品詞分解と語句解説
・本文の解説
を見ながら、詳しく内容を読んでいきましょう。
去来抄「行く春を」現代語訳・解説

本文・品詞分解(語句解説)・現代語訳
行く春を 近江の人と 惜しみけり 芭蕉
俳句:過ぎ去る春を、近江の人たちと名残惜しく思ったことだ。 芭蕉
| 語句 | 意味 |
| 行く | カ行四段活用動詞「行く」(過ぎ去る)連体形 |
| 春 | 名詞 |
| を | 格助詞 |
| 近江 | 名詞(地名。現在の滋賀県を指す) |
| の | 格助詞 |
| 人 | 名詞 |
| と | 格助詞 |
| 惜しみ | マ行四段活用動詞「惜しむ」(名残惜しく思う)連用形 |
| けり | 詠嘆の助動詞「けり」終止形 |
| 芭蕉 | 名詞(人名。松尾芭蕉のこと) |
季語:行く春(晩春)
切れ字:けり
先師言はく、「尚白が難に、『近江は丹波にも、行く春は行く年にもふるべし』と言へり。
先生が言うことには、「尚白の非難に、『近江は丹波にも、行く春は行く年にも入れ替えることができる』と言った。
| 語句 | 意味 |
| 先師 | 名詞(亡き師。※ここでは去来の師である松尾芭蕉を指す) |
| 言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
| く、 | 接尾語(~ことには) |
| 「尚白 | 名詞(人名。江左尚白。松尾芭蕉の弟子の一人。後に芭蕉と対立して離脱した) |
| が | 格助詞 |
| 難 | 名詞(非難、悪口) |
| に、 | 格助詞 |
| 『近江 | 名詞 |
| は | 係助詞 |
| 丹波 | 名詞(地名。現在の京都府中部と兵庫県東部を指す) |
| に | 格助詞 |
| も、 | 係助詞 |
| 行く | カ行四段活用動詞「行く」連体形 |
| 春 | 名詞 |
| は | 係助詞 |
| 行く | カ行四段活用動詞「行く」連体形 |
| 年 | 名詞 |
| に | 格助詞 |
| も | 係助詞 |
| ふる | ラ行四段活用動詞「振る」(入れ替える)終止形 |
| べし』 | 可能の助動詞「べし」終止形 |
| と | 格助詞 |
| 言へ | ハ行四段活用動詞「言ふ」已然形 |
| り。 | 完了の助動詞「り」終止形 |
汝いかが聞き侍るや。」
お前は、どのように(この非難を)聞きましたか。」と。
| 語句 | 意味 |
| 汝 | 代名詞(お前) |
| いかが | 副詞(どのように~か) |
| 聞き | カ行四段活用動詞「聞く」連用形 |
| 侍る | ラ行変格活用補助動詞「侍り」連体形 【丁寧】先師(芭蕉)→去来への敬意 |
| や。」 | 疑問の係助詞 |

尚白さん、師匠にとんでもない言いがかりじゃないですか!
その人が練りに練って作った句に対して、「行く春でも、行く年でもいいんじゃない?」とか「近江じゃなくて、そこらへんの地名なら丹波でもなんでもいいんじゃね!?」なんて失礼すぎませんか?

もしも尚白の言う通りに置き換えたら、どのような句になるか考えてみましょう。
それによって、季節が変わる
過ぎ去ろうとする春(晩春)→ 過ぎ去ろうとする年(年末)《 近江 → 丹波 》
それによって、土地が変わる(風景が変わる)
琵琶湖 → 山間部

近江と言ったら「琵琶湖」です。
丹波と丹後の国の境にある「大江山」は和歌にも詠まれたりしていますね。
この違いを踏まえた上で、尚白の非難は妥当なのかどうかを読み解いていきましょう。
去来言はく、「尚白が難あたらず。
去来が言うことには、「尚白の非難は当てはまりません。
| 語句 | 意味 |
| 去来 | 名詞 |
| 言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
| く、 | 接尾語(~ことには) |
| 「尚白 | 名詞 |
| が | 格助詞 |
| 難 | 名詞 |
| あたら | ラ行四段活用動詞「あたる」(当てはまる)未然形 |
| ず。 | 打消の助動詞「ず」終止形 |
湖水朦朧として春を惜しむにたよりあるべし。
琵琶湖の水がぼんやりと薄暗く霞んで春を名残惜しく思う気持ちのよりどころとなるでしょう。
| 語句 | 意味 |
| 湖水 | 名詞(湖の水。ここでは近江の湖=琵琶湖を指す) |
| 朦朧と | タリ活用の形容動詞「朦朧たり」(辺りがぼんやりと薄暗く霞んでいる様子)連用形 |
| して | 接続助詞 |
| 春 | 名詞 |
| を | 格助詞 |
| 惜しむ | マ行四段活用「惜しむ」連体形 |
| に | 格助詞 |
| たより | 名詞(よりどころ、支えてくれるもの) |
| ある | ラ行変格活用動詞「あり」連体形 |
| べし。 | 推量の助動詞「べし」終止形 |

何を言っているのでしょうか…?

琵琶湖の水がぼんやりと薄暗く霞む様子と、人々が過ぎ行く春を惜しむ気持ちがぴったりとマッチしている、と言っているのです。
ことに今日の上に侍る。」と申す。
特に現実に景色を見た上で感じたことであります。」と申し上げる。
| 語句 | 意味 |
| ことに | 副詞(特に) |
| 今日 | 名詞 |
| の | 断定の助動詞「なり」連用形? |
| 上 | 名詞 |
| に | 格助詞 |
| 侍る。」 | ラ行変格活用補助動詞「侍り」(あります)連体形 【丁寧】去来→先師(芭蕉)への敬意 |
| と | 格助詞 |
| 申す。 | サ行四段活用動詞「申す」終止形 【謙譲】書き手→先師(芭蕉)への敬意 |

「今日の上に侍る」とはどういうことなのでしょうか?

直訳すれば「特にこの日の上にあります」となります。
言葉を補うと…
「特に(芭蕉様が)この日(=現実に近江の景色を見たこと)の上で(感じたことを詠んだ句)であります。」となります。
先ほどの内容と合わせて、去来の主張をまとめると…?
1. 「春を惜しむ」のに丹波ではなく近江の景色が合っている
2. 実際に松尾芭蕉が、近江で見た景色を詠んでいる
→以上の理由から、去来は「尚白の非難は当てはまらない!」と反論した
先師言はく、「しかり。古人もこの国に春を愛すること、をさをさ都に劣らざるものを。」
先生が言うことには、「そのとおりだ。昔の歌人もこの国(=近江)で春を愛することは、少しも都に劣らないのになあ。」と。
| 語句 | 意味 |
| 先師 | 名詞 |
| 言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
| く、 | 接尾語(~ことには) |
| 「しかり。 | ラ行変格活用動詞「しかり」(その通りだ)終止形 |
| 古人 | 名詞(昔の人。※歌人など尊敬する人を指す) |
| も | 係助詞 |
| こ | 代名詞 |
| の | 格助詞 |
| 国 | 名詞 ※この国…近江を指す |
| に | 格助詞 |
| 春 | 名詞 |
| を | 格助詞 |
| 愛する | サ行変格活用動詞「愛す」連体形 |
| こと、 | 名詞 |
| をさをさ | 副詞+打消(少しも~ない) |
| 都 | 名詞 |
| に | 格助詞 |
| 劣ら | ラ行四段活用動詞「劣る」未然形 |
| ざる | 打消の助動詞「ず」連体形 |
| ものを。」 | 詠嘆の終助詞(~のになあ) |

先人たちが近江の春を好んだのであり、それは京の都にも負けていないのです。

「丹波の春」って言われても、ピンとこないよね~って感じですね。

芭蕉の言葉によって、「古くから近江で春が惜しまれていた」という文学的な伝統が、尚白の非難は当てはまらない根拠として付け加えられましたね。
去来言はく、「この一言、心に徹す。
去来が言うことには、「今の一言は、心に深く沁みました。
| 語句 | 意味 |
| 去来 | 名詞 |
| 言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
| く、 | 接尾語(~ことには) |
| 「こ | 代名詞 |
| の | 格助詞 |
| 一言、 | 名詞 |
| 心 | 名詞 |
| に | 格助詞 |
| 徹す。 | サ行変格活用動詞「徹す」(届かせる)終止形 |

「この一言」とは何を指すのでしょうか?

「古人もこの国に春を愛すること、をさをさ都に劣らざるものを。」という、先師(芭蕉)の言葉を指します。

それを「心に徹す」とはどういうことでしょうか?

「心に届かせる」つまり「心に沁み込む」ということです。
現代風に言えば、「刺さった」という感じでしょうか。
行く年近江にゐ給はば、いかでかこの感ましまさん。
年末に近江にいらっしゃったならば、どうしてこのような感動があおりになったでしょうか。いやございません。
| 語句 | 意味 |
| 行く | カ行四段活用動詞「行く」連体形 |
| 年 | 名詞 |
| 近江 | 名詞 |
| に | 格助詞 |
| ゐ | ワ行上一段活用動詞「居る」連用形 |
| 給は | ハ行四段活用補助動詞「給ふ」未然形 【尊敬】去来→先師(芭蕉)への敬意 |
| ば、 | 接続助詞 |
| いかで | 副詞(どうして) |
| か | 反語の係助詞 ※結び:ん |
| こ | 代名詞 |
| の | 格助詞 |
| 感 | 名詞(感動、感慨) |
| ましまさ | サ行四段活用動詞「まします」(おありになる)未然形 【尊敬】去来→先師(芭蕉)への敬意 |
| ん。 | 推量の助動詞「む」連体形 【係り結び】 |
行く春 丹波にいまさば、もとよりこの情浮かぶまじ。
もし晩春に丹波にいらっしゃったならば、そもそもこの感情(=過ぎ行く春を惜しむ気持ち)は浮かばないでしょう。
| 語句 | 意味 |
| 行く | カ行四段活用動詞「行く」連体形 |
| 春 | 名詞 |
| 丹波 | 名詞 |
| に | 格助詞 |
| いまさ | サ行四段活用動詞「います」(いらっしゃる)未然形 【尊敬】去来→先師(芭蕉)への敬意 |
| ば、 | 接続助詞 ※「未然形+ば」=「もし~ならば」 |
| もとより | 副詞(もともと、そもそも) |
| こ | 代名詞 |
| の | 格助詞 |
| 情 | 名詞(感情) |
| 浮かぶ | バ行四段活用動詞「浮かぶ」(思い浮かぶ)終止形 |
| まじ。 | 打消推量の助動詞「まじ」(~ないだろう)終止形 |
風光の人を感動せしむること、まことなるかな。」と申す。
すばらしい景色が人を感動させるということは、本当であるものですねえ。」と申し上げる。
| 語句 | 意味 |
| 風光 | 名詞(すばらしい景色) |
| の | 格助詞 |
| 人 | 名詞 |
| を | 格助詞 |
| 感動せ | サ行変格活用動詞「感動す」未然形 |
| しむる | 使役の助動詞「しむ」連体形 |
| こと、 | 名詞 |
| まこと | 名詞(本当) |
| なる | 断定の助動詞「なり」連体形 |
| かな。」 | 詠嘆の終助詞「かな」(~だなあ)終止形 |
| と | 格助詞 |
| 申す。 | サ行四段活用動詞「申す」終止形 【謙譲】書き手→先師(芭蕉)への敬意 |
先師言はく、「汝は、去来、ともに風雅を語るべき者なり。」と、ことさらに喜び給ひけり。
先生が言うことには、「去来よ、お前は一緒に俳諧を語るにふさわしい者だ。」と、特別にお喜びになった。
| 語句 | 意味 |
| 先師 | 名詞 |
| 言は | ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形 |
| く、 | 接尾語(~ことには) |
| 「汝 | 代名詞 |
| は、 | 係助詞 |
| 去来、 | 名詞 |
| とも | 名詞 |
| に | 格助詞 ※「ともに」(一緒に) |
| 風雅 | 名詞(芸術、詩歌・文章。芭蕉一門では俳諧のことを指す) |
| を | 格助詞 |
| 語る | ラ行四段活用動詞「語る」終止形 |
| べき | 適当の助動詞「べし」(~するにふさわしい)連体形 |
| 者 | 名詞 |
| なり。」 | 断定の助動詞「なり」終止形 |
| と、 | 格助詞 |
| ことさらに | ナリ活用の形容動詞「ことさらなり」(特別だ)連用形 |
| 喜び | バ行四段活用動詞「喜ぶ」 |
| 給ひ | ハ行四段活用補助動詞「給ふ」連用形 【尊敬】書き手→先師(芭蕉)への敬意 |
| けり。 | 過去の助動詞「けり」終止形 |
ポイント
- 行く春 → 行く年
季節が変わる
過ぎ去ろうとする春(晩春)→ 過ぎ去ろうとする年(年末)
- 近江 → 丹波
場所が変わる(景色が変わる)
琵琶湖→山間部
A. 芭蕉が実際に見た景色である
直訳すれば「特にこの日の上にあります」となる。
言葉を補って解釈すると…
「特に(芭蕉様が)この日(=現実に近江の景色を見たこと)の上で(感じたことを詠んだ句)であります。」ということ。
1. 「春を惜しむ」のに丹波ではなく、近江の景色が合っている
2. 実際に松尾芭蕉が、近江で見た景色を詠んでいる
→「近江」で「行く春」を惜しむという表現以外ありえない
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は向井去来の『去来抄』より「行く春を」について解説しました。
このお話は、去来の師匠である松尾芭蕉が「私の『行く春を~』という俳句について、弟子の尚白が非難してきたんだけど、お前どう思う?」という問いかけから始まりました。
尚白の非難の内容は、ずいぶんとひどいもののように思えます。
それに対して去来が述べた見解は、「その通りだ」と芭蕉も納得。
「お師匠さんに、『ともに風雅を語るべき者なり。』とまで言われちゃいましたよ~」と、誇らしそうにしている去来が思い浮かぶようです。
去来がどのような人物なのか、気になってきますね。
みなさんはどのように感じましたか?



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