今回は三国志より「曹公以関羽為義(曹公関羽を以つて義と為す)」について解説をしていきます。
ここでは袁紹軍の顔良を討ち取った関羽が、もともと仕えていた劉備の居場所がわかり、曹操のもとを去るのかどうかというお話です。
曹操軍が顔良を討ち取ったときの話はコチラ
この記事では
・白文
・書き下し文(読み仮名付き)
・語句の意味/解説
・現代語訳
以上の内容を順番にお話していきます。
「曹公関羽を以つて義と為す」書き下し文・現代語訳・解説
白文
① 羽歎曰、
②「吾極知曹公待我厚。
③ 然吾受劉将軍厚恩、誓以共死。
④ 不可背之。
⑤ 吾終不留。
⑥ 吾要当立効以報曹公乃去。」
⑦ 遼以羽言報曹公。
⑧ 曹公義之。
⑨ 及羽殺顔良、曹公知其必去、重加賞賜。
⑩ 羽尽封其所賜、拝書告辞而奔先主於袁軍。
⑪ 左右欲追之。
⑫ 曹公曰、「彼各為其主、勿追也。」
書き下し文(読み仮名付き)・語句解説・現代語訳
①羽歎じて曰はく、
語句 | 意味/解説 |
羽 | 関羽のこと |
歎じて | 嘆いて |
【訳】関羽が嘆いて言うことには、
②「吾極めて曹公の我を待するの厚きを知る。
語句 | 意味/解説 |
吾 | 私 |
極めて | 非常に |
曹公 | 曹操様 |
我 | 私 |
待するの厚き | 厚くもてなす、待遇が手厚い |
知る | 理解している |
【訳】「私は曹操様が私を厚くもてなしてくれているのをよく知っている。
「吾」と「我」はどちらも「私」と訳していますが、何か違いはあるのですか?
「我」は他の人を意識して自分のことを呼ぶときに用います。
それに対して「吾」は特に意識せずに自分のことを呼ぶときに用います。
③然れども吾劉将軍の厚恩を受け、誓ふに死を共にするを以つてする。
語句 | 意味/解説 |
然れども | しかし |
劉将軍 | 劉備将軍 |
厚恩 | 厚い恩情 |
死を共にする | 生死を共にする |
【訳】しかし私は劉備将軍の厚い恩情を受けて、生死をともにすることを誓っている。
④之に背くべからず。
語句 | 意味/解説 |
之 | この誓い=劉備と生死を共にすると誓ったこと |
背く | 反する |
べからず(不可) | 【不可能】~できない |
【訳】この誓いに反することはできない。
⑤吾終に留まらず。
語句 | 意味/解説 |
終に | 結局 |
留まらず | 留まることはない |
【訳】私は結局(ここ=曹操軍に)留まることはない。
⑥吾要ず当に効を立てて以つて曹公に報いて乃ち去るべし。」と。
語句 | 意味/解説 |
要ず | 必ず |
当に~べし | 【再読文字】当然~べきである |
効を立てて | 手柄を立てて |
報いて | 恩返しをして |
乃ち | そして |
【訳】私は必ず当然手柄を立ててそれで曹操様に恩返しをしてそして(曹操様のもとを)立ち去るべきである。」と。
⑦遼羽の言を以つて曹公に報ず。
語句 | 意味/解説 |
遼 | 張遼のことを指す(曹操の部下で、関羽の親友であった) |
羽 | 関羽のことを指す |
言 | 言葉 |
報ず | 報告した |
【訳】張遼は関羽の言葉を曹操に報告した。
⑧曹公之を義とす。
語句 | 意味/解説 |
之 | 関羽が曹操への恩返しをした上で、劉備との誓いを守ろうとしていること |
義 | 忠義 |
【訳】曹公はこれを忠義だとみなした。
この時代、君主を裏切るということはよくありました。
そのような中での関羽の行いは忠義であるとされたのです。
その後、関羽は「義の人」として有名になります。
⑨羽の顔良を殺すに及ぶや、曹公其の必ず去るを知り、重く賞賜を加ふ。
語句 | 意味/解説 |
顔良 | 袁紹軍の武将。関羽は顔料を討ち取ったことで大きな手柄を立てた。 |
重く | 手厚い |
賞賜 | 褒美 |
加ふ | 与えた |
【訳】関羽が顔良を殺す(恩返しの)機会が訪れ、曹操は関羽が必ず(自分のもとを)立ち去るのを知り、手厚い褒美を与えた。
どうして自分のもとを去る関羽に、たくさんの褒美を与えたのですか?
一つは、関羽を手放したくなかったからでしょう。
もう一つは、自分の軍に貢献してくれた関羽への思いを褒美として表したと言えます。
関羽が褒美に心を動かされないことは、わかっていたんですね。
⑩羽尽く其の賜はる所に封し、書を拝し辞を告げて先主に袁の軍に奔る。
語句 | 意味/解説 |
尽く | 残らず |
其の賜はる所 | 曹公からの手厚い褒美の品を指す |
封し | 封印して |
書を拝し | 書簡を送り |
辞を告げて | 別れを告げて |
先主 | もとの君主(ここでは劉備を指す) |
袁の軍 | 袁紹軍 |
奔る | 逃げ出した |
【訳】関羽は残らずそのいただいた褒美の品に封印して、書簡を送り別れを告げてもとの君主(である劉備がいる)袁紹軍へと逃げ出した。
⑪左右之を追はんと欲す。
語句 | 意味/解説 |
左右 | 側近 |
之 | 関羽を指す |
欲す | ~しようとする |
【訳】側近の者たちは関羽を追いかけようとした。
⑫曹公曰はく、「彼各其の主の為にす、追ふこと勿かれ。」と。
語句 | 意味/解説 |
彼各 | 彼も(君たちも)それぞれ |
其の主 | 自分の主君 |
勿かれ | 【禁止】~するな |
【訳】曹公が言うことには、「彼も君たちも自分の主君の為にしていることだから、追うな。」と。
「也」はここでは強調を表す置き字なので、書き下し文にするときには注意しましょう。
どういうこと?
関羽と曹操の関係は理解できたでしょうか?
関羽はもともと劉備の部下でした。
関羽軍と劉備軍が戦った際に劉備の行方がわからなくなり、一時的に関羽は曹操に仕えていました。
仕える時に劉備の居場所が分かったら、劉備のもとへ行くという条件がありました。
曹操は関羽のことを高く評価し、異例の待遇で軍に迎え入れたのです。
その後、劉備の居場所が分かります。
なんと曹操軍の敵である袁紹軍に属していたのでした。
曹操は関羽の親友である張遼に、関羽の本心を探らせたというのがこのお話の始まりです。
だから「歎じて曰はく」だったんですね。
劉備との約束は果たすつもりでいるものの、曹操に対する恩義もしっかり感じているからこその「歎じて曰はく」なんですね。
ましてや行先が、曹操の敵軍ですものね…
曹操としても、こんな優秀な人が敵軍に加わることは避けたかったでしょうね…
間違いないですね。
それでも関羽の思いを「忠義」と称え、追うことなく行かせた曹操の男気を感じます。
曹操は「忠義」を大切にする人だったんですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
主君である劉備との約束を守り、かつ曹操への恩義も忘れない関羽。
そして関羽が敵軍に行ってしまえば、自分が不利になるかもしれないという状況でありながら、関羽を行かせた曹操。
「忠義」という意味が理解できるお話でした。
三国志には武将の人物像が見えるお話が多くあります。
現代の私たちが読んでも、理解できる思い、学ぶことはあるのではないでしょうか。
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