今回は世説新語より「華・王之優劣」について現代語訳と解説をしていきます。
世説新語は、後漢末~東晋の時代に活躍した中国の名士の逸話を集めたものです。
名士とは、学者や物書き、芸術家や僧侶など当時活躍した人たちを指します。
今回は華歆と王朗と言う人物が登場します。
華歆と王朗の優劣は、どのようにしてつけられたのでしょうか?
「華・王之優劣」現代語訳・解説
それではまずは白文・書き下し文を順に見ていきましょう。
「華・王之優劣」白文
華歆・王朗倶乗船避難。
有一人欲依附。
歆輒難之。
朗曰、「幸尚寛、何為不可。」
後賊追至、王欲舎所携人。
歆曰、「本所-以疑、正為此耳。
既以納其自託、寧可以急相棄邪。」
遂携拯如初。
世以此定華・王之優劣。
「華・王之優劣」書き下し文(読み仮名つき)
華歆・王朗倶に船に乗りて難を避く。
一人有り依附せんと欲す。
歆輒ち之を難む。
朗曰はく、「幸ひに尚ほ寛し、何為れぞ可ならざる。」と。
後に賊追ひ至るに、王携ふる所の人を舎てんと欲す。
歆曰はく、「本疑ひし所以は、正だ此が為のみ。
既以に其の自託を納る、寧ぞ急を以つて相棄つべけんや。」
遂に携拯すること初めのごとし。
世此を以つて華・王の優劣を定む。
「華・王之優劣」現代語訳
華歆と王朗が一緒に船に乗って戦乱を避けようとした。
一人の男が(二人を)頼りにして、ついていこうとした。
華歆はその度ごとにそれを拒んだ。
王朗が言うことには、「幸いなことにまだ(船には)ゆとりがある。どうしてだめなのか。」と。
後に賊が追いつくと、王朗は連れ立っていた男を見捨てようとした。
華歆が言うことには、「もともとためらった理由に、ただこういう場合の(心配の)ためだけだったのだ」と。
その男のたのみを聞き入れたからには、どうして切迫した状況がもとで(その男を)置き捨てることができようか、いや置き捨てることはできない。
最後までその男を連れて逃げることは、最初のようだ。
→最後までその男を連れて逃げた。
世間の人々はこのことによって、華歆と王朗の優劣を決めた。
語句・解説
語句 | 意味 |
華歆(歆/華) | 魏の時代の政治家。 ※人物像については後で解説 |
王朗(朗/王) | 魏の時代の政治家。 ※人物像については後で解説 |
倶 | 一緒に |
難を避く | 戦乱を避ける |
依附 | よりかかる ここでは、頼りにする |
んと欲す | ~しようとする |
輒ち | その度ごとに ※二人を頼ってくる者は、今回の男の他にもいたと考えられる。 |
難む | 阻止する、拒む |
尚ほ | 依然として、まだ |
寛し | 広い、ゆとりがある |
何為れぞ | どうして、なぜ |
可ならざる | 可能ではない、良くない→ダメ |
賊 | 国家や君主に背く謀反者。 |
追ひ至る | 追ふ…追いかける、至る…達する、やってくる 追ひ至る…追いつく |
携ふる所の人 | 携ふ…連れ立っていく 所…(動詞の前に置き名詞化する)もの、こと →携ふる所の人…連れ立っていく男 |
舎て(舎つ) | 捨てる |
本 | 物事のはじめ。もともとの |
疑ひし | ためらった、躊躇した |
所以 | 理由 |
正だ~のみ | ただ~だけだ |
此が為 | こういう場合のため。 賊に自分たちの身が危険にさらされることを心配していたと言っている。 |
既以に | ~したからには |
自託 | たのみ |
納る | 聞き入れる |
寧ぞ~べけんや | どうして~するはずがあろうか、いや~しないべきだろう |
急を以つて | 急…切迫した状況 以つて…~がもとで |
相棄つ | 置き捨てる |
遂に | 最後まで |
携拯する | 連れて逃げる |
初めのごとし | 最初のようだ ここでは「最後まで男を連れて逃げた」という意味。 |
世 | 世間の人々 |
此を以つて | このことによって |
定む | 決める |
華・王の優劣の結果は?
世間の人々は「華歆が王朗より優れている」としたことが分かりました。
どのような点をもって決めたのでしょうか。
華歆が優れている理由
●頼ってきた男を拒んだ→先を見通して慎重な選択をする
●賊に追われて自分の命が危ない状況になっても、男を見捨てなかった→一度引き受けたら最後まで約束を守る
王朗が劣っている理由
●頼ってきた男を受け入れたものの、自分たちが危険になると見捨てようとした→軽はずみな行動
とされていますが、本当にそうなのでしょうか?
華歆が頼ってきた人を拒むのを非道な人とも解釈できます。
逆に王朗は、困っている人を見過ごさない人、窮地に立たされた時に決断ができる人と捉えることもできます。
実は別の書物では、華歆は悪役として描かれています。
また王朗については、学識高く、政治の手腕を発揮した優れた人物だったとも言われています。
作品によって印象が異なるのはどうしてなのでしょうか?
そこには史実かフィクションかの違いがあります。
「世説新語」はどのような位置づけなのか確認します。
「世説新語」は史実をもとにしたフィクション
「世説新語」は劉義慶が後漢末から東晋までの間の著名人の逸話を集めた、短編小説集です。
つまりフィクションです。
しかしただのフィクションではなく、史実をもとにしたフィクションであるため、小説のように読みやすく、端的でわかりやすいです。
※ここでは歴史書として書かれている「正史三国志」を史実と捉え、「三国志演義」「世説新語」はそれをもとにして創作されたフィクションとして説明しています。
華歆が仕えていた董卓という人物が、洛陽から長安に遷都するときの様子をモチーフにしているようです。
董卓は暴君すぎて反対勢力の攻撃に遭いました。
恐怖にかられて都を離れたのです。
今回のお話に出てくる「賊(謀反者)」というのは、反董卓連合軍からの追手だったということになります。
途中で華歆たちと一緒に行きたいと言ってきた男がおり、仲間が「いいよ~」と言う中で華歆だけが反対したというのは今回のお話と同じです。
異なる部分は
●男が井戸に落ちたので、みんなは見捨てようとした。
(華歆が井戸から引き出して最後まで一緒に行ったという点は同じ)
●王朗がいたという記述がない。
「世説新語」ではわざわざ登場させて、「劣っている役」を担わされてしまった王朗。
学識高く、政治の手腕を発揮した優れた人物だったとも言われている彼が、どうしてそのような役回りとなってしまったのでしょうか?
王朗という人物
王朗は「正史三国志」によると、
●学識と文才が優れていた
●厳格で礼儀正しい性格。
●弱者である民衆のために政治を行い、君主に進言することもあった。
差し迫って困っている人を救うことを優先する。
というように表現されています。
今回のお話で男を助けたのは「差し迫って困っている人を救うことを優先する」という、本来ならば優れている部分として捉えられる性質によるものとも言えます。
しかし「三国志演義」では、王朗は悪役よりで描かれています。
「正史三国志」では天寿を全うしたと書かれていますが、「三国志演義」では76歳にして軍師として出陣して敗北してしまったとあります。
その後色々悪口を言われて、憤死したと描かれているのです。
「世説新語」でも「三国志演義」のような「ヒール」としての王朗を登場させ、華歆とのライバルのような構図を生みだしたのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
「華歆と王朗のどちらが優れているか」ということについて、世間の人々は先を見据えて慎重に物事を判断できる華歆を優れていたとしたことが分かりました。
華歆と王朗は魏の国における初代大臣として、手腕を発揮した立派な人物でした。
「三国志演義」「世説新語」では王朗を悪役にして描くことで、華歆との対比を明確にして話を面白くするという効果が感じられました。
「正史三国志」にもぜひ触れてみて、違いを確認してみてください。
コメント