今回は徒然草の第51段「亀山殿の御池に」について見ていきます。
《あらすじ》
ある時、後嵯峨上皇が亀山御所の池に大井川の水を引き入れようと、大井川の住民に水車を造らせた。
たくさんのお金を与えて多くの日数をかけたのに、全く回らなかった。
そこで今度は宇治の住民に作らせたところ、簡単に組み立てた。
何事につけても、その道を知っている者は、大切なものである。
下記のような点に注目していきます。
・「大井の土民」と「宇治の里人」の比較は?
・この話を通じて、筆者が主張したいことは何か?
徒然草「亀山殿の御池に」現代語訳・解説
それではまず最初に本文を現代語訳していきます。
本文と現代語訳
その後、ポイントについて解説していきます。

主語が省略されています。
敬語表現と「亀山殿」という言葉から、ここの主語は「後嵯峨上皇」とわかります。

「掛く」はかける、渡すなど多くの意味があります。
ここでは「設置する」と訳しました。

「数日で」と言うのは、どのように捉えるといいのでしょうか?

私たちの感覚だと「数日で」は短い日数に感じられますね。
しかし、ここでは「たくさんの日数」という意味になります。

「いたづらに立てりけり」
「役に立たないのに立っている」という、皮肉を込めたダジャレのようですね。

宇治の里人って一体何者ですか!?

古くから「柳、橋、水車」が和歌や絵画に描かれていれば「宇治」と言われていました。
宇治は水車の名所であり、その住民は水車を造る技術を持っていたということです。

「造らせなさったので」という訳がしっくりこなかったのですが…

「水車造りのプロである宇治の里人に頼んだので」次の文の「簡単に作った」
→※思ふやう…思いのまま
まずは一点目、「大井の土民」と「宇治の里人」の比較をしていきます。
「大井の土民」と「宇治の里人」の比較
それでは本文の内容を確認していきましょう。
「大井の土民」と「宇治の里人」がそれぞれ水車を造り、出来上がったものの描写はどのようになっているか比較してまとめてみました。
水車 | 大井の土民 | 宇治の里人 |
造るまで | ・多くの銭 (たくさんのお金) ・数日に営み出だして (日数をかけて造り出して) |
やすらかに結ひて (簡単に組み立てて) |
結果 | ・おほかた廻らず (全く回らない) ・とかく直しけれども、つひに回らで (色々と直してはみたが、とうとう回らないで) |
思ふやうに廻りて (思いのままに回って) |
評価 | いたづらに立てりけり (役に立たないで立っていた) |
めでたかりけり (見事だった) |
大井の土民は、お金と日数をかけたものの水車は回りませんでした。
それに対して宇治の土民は、いともたやすく造りあげ、見事に水を汲み上げました。
このことから、作者が言いたかったことはどのようなことだったのでしょうか。
筆者が主張したいことは何か?
この話を通じて、筆者が主張したいことは、全てはこの一文に込められています。
よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
意味は「何事につけても、その道を知っている者(専門家)は大切なものである」ということです。
後嵯峨上皇は大井川の水を汲み入れたかったので、大井川の住民(大井の土民)に水車を造らせました。
多くのお金を渡し、日数をかけて作り上げたものは役に立たない水車。
そこで結局、水車造りが得意な宇治の住民(宇治の里人)を呼んで造らせたのです。
すると、簡単に組み立て、思いのままに回り、見事に水を汲み上げたのでした。

私には、筆者が後嵯峨上皇を批判しているように感じられます。

そうですね。
最初から上皇が宇治の里人に造らせるという決断をしていれば、無駄なお金も時間もかけずに済みましたからね。
徒然草には後嵯峨上皇が何度か登場します。
皮肉やユーモアが含まれているのが、徒然草の特徴でもありますので、筆者が上皇への皮肉も込められていたのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は徒然草より「亀山殿の御池に」のお話を紹介しました。
大井の土民と宇治の里人が水車を造る様子を比較し、「よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。」という一文に筆者の主張が込められていることがわかりました。
また徒然草の性質から、そこには後嵯峨上皇への皮肉も込められていたとも考えられます。
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